オブジェ

母のため付けし手摺りはいたづらに壁や廊下のオブジェとなりぬ

 

二階建てのわが家には一階と二階それぞれにトイレがあり、一階のトイレには三カ所に手摺りを付けてある。ホームセンターで材料を買って私が付けたものである。母が脊椎間狭窄症になったときにまず一つ手摺りをつけ、その後母の足腰の衰えに伴って一つ、もう一つと手摺りが増えた。

最近便器に腰掛けてそれらの手摺りを見て、もうこれらは不要となってしまっていることに気づいた。もっともこの先私の足腰が衰えれば、また世話になることがあるかも知れないが・・・・・・。

介護ベッドや車椅子は、なくなって母の不在を感じさせた。逆に、トイレや廊下や玄関の壁に突き出した、うっすらと埃をかぶった手摺りは、いまもあることで母の不在を感じさせる。

 

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わが家も減塩!

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桜2

あれからと歳を数ふる桜かな

 

人は自分の死を意識したとき、「あと何回桜が観られるだろうか」とか「来年の桜は観られるだろうか」などと、桜という花を意識するのだと聞いた。

これは自分の死以外にも当てはまるかもしれない。父が亡くなったのは六月、母が亡くなったのは九月だったが、その忌日よりも春がめぐってきて桜が咲くたびに、「あれから何年・・・」という具合に歳月の経過を思う。

父と母との楽しい思い出には、花見よりもずっと楽しい思い出がたくさんあるのだが、毎年決まって思い出すのはやはり一緒に桜を観た記憶である。

私はそれほど桜が好きではないが、やはり日本人にとって特別な花だということは疑いない。

 

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