冬青空

通院の付き添ひを終え冬青空

 

かかり付けのクリニックにしろ、三ヶ月に一回の病院への通院にしろ、いつもより早く母を起こし、着替えや食事を済ませて出かけなければならない。そうやって早くから出かけても、診察を終えて家に帰り着くのは昼過ぎである。

私の仕事は学習塾の講師で、それから昼食を済ませて、姉と母の介護を交代してもらって午後三時すぎに家を出るのだが、母の通院の付き添いを終えると、もう今日一日の仕事を終えた気分となって、正直仕事に行くのは億劫だった。

ある冬の日、病院での診察を終えてエントランスを出ると、頭上はみごとな冬の青空で、そのときだけはすこし気持ちが晴れやかになった。

 

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秋風

秋風に胸を満たして三回忌

 

父が亡くなったとき、「時が薬となって癒やしてくれる」と叔母から言われた。確かにそのことばどおり、時間とともに痛みは薄れていった。母が亡くなってからも同じで、三ヶ月、半年、一年と経つうちに胸を刺すような哀しみは薄れてきたように思う。

ただ正直なところ、癒やされたという感覚はまだない。胸の一点にあった刺すような痛みは薄れたが、その範囲はむしろ広がっているようにも感じられる。

なにかで胸を満たさないと、こころがそこはかとない哀しみに占拠されそうだが、かといっておおよそポジティブな感情はいまの私には湧いてきそうもない。せいぜい秋風ででも胸を満たしておく以外になさそうだ。

 

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わが家も減塩!

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ビール

亡き父にビールを注いで吾が飲む

 

お恥ずかしい話だが、いまやビールを飲むのは贅沢と言わねばならない暮らしぶりとなってしまい、日頃は自動販売機で買うジュースより安い缶チューハイを飲んでいる。

とはいえ、ときには缶チューハイでも発泡酒でもなく本物のビールを飲みたいので、亡き父の誕生日だとか、命日だとか、お盆とかに、父にかこつけてビールを飲む。

グラスを二つ用意して「父さん、今夜は一緒に飲もう」などと言いながら、二つのグラスにビールを注ぐ。しかし、父の分のビールが減るはずもなく、結局は私が飲んでしまう。めったに飲めないビールだからもちろん旨いが、やはり一人で飲むビールが二人で飲むビールの味を超えることはない。

 

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