見えざる力

われもまた見えざるものに介けられ護られ母を介護してゐる

 

以前も記したことがあったかも知れぬが、私は『介護』ということばが嫌いだった。介護の『介』は『たすける』という意味。『護』は『まもる』という意味。『たすけ、まもる』なんていかにも上から目線だと感じていたからだ。

しかし、母の介護をしているうちに、私もまた母に『たすけられ、まもられている』ことを感じ、介護を『互いにたすけ合い、まもり合う』と解釈するなら、このことばも悪くないと思うようになった。

そして、さらに母の介護を続ける中で、自分は目に見えないものの力にもたすけれ、まもられているような感覚をもつようになった。

きっとそうだと思う。そうでなければ、介護という過酷な営みはわたしにはとても続けられなかった。

 

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菜の花(2)

菜の花や夕日の国に逝きし母

 

「菜の花や月は東に日は西に」という与謝蕪村の句や、「菜の花の中へ大きな入日かな」という夏目漱石の句など、菜の花と夕日を結びつけた句は比較的多いように思われる。そして夕日の沈む西の方角は、『西方極楽浄土』といわれるように死後の世界がある方角でもある。

今日、車窓からたまたま菜の花を見て、蕪村や漱石の句を思い出し、そして次に西方極楽浄土ということばを思い出した。

死後の世界はどういうところか分からぬ(そもそも死後の世界があるのかどうかも分からぬ)が、あるなら仏教の説くような極楽浄土であってほしい。そして、そこで亡き母と父が幸せに暮らしていると願う。

 

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わが家も減塩!

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布団

寝息なくも布団かすかに上下せり

 

父が亡くなってから、母が亡くなるまでずっと母の隣で眠った。夜中に腕や足が痛いと言って何度も起こされたり、ずっと話しかけられたりして眠らせてもらえないのはつらかったが、逆に寝息も聞こえぬほど深く眠っていると、もしや息が止まったのではないかと心配になることもあった。

訪問看護師さんから呼吸をしているときは胸がわずかに上下すると聞いて、隣に眠っている母をじっと見ると、布団がかすかに上下している。「ああ、生きている・・・」とほっとして眠るということが何度かあった。

一方、母の死から通夜の日まで二晩母の亡骸の隣で眠ったが、ふっと「ぐー」と鼾のような音がした気がして母の亡骸をまじまじと見たが、当り前だが胸は上下しておらず、「やっぱり死んでいる」とがっかりした。

 

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