炎昼

炎昼の床を濡らして母がゐた

 

なにが起きた? 廊下に立つ母の足元が濡れている。失禁したのかと思って、指につけて嗅いでみたが臭いはしない。では、この水は母が持ってきたものか? 母は何をしようしたのだろう? 呆然と立っている母の横に立って、私もしばらく呆然とした。

親の物忘れが増えてきて怪訝に思っても、歳も歳だから……などとそれをことさら深刻に考えたくない時がある。一方で、これはどう考えても認知症だと気づき、またそう悟らねばならない日が来る。ところが、その時には実はもうかなり進んでいる。もちろんそこからでも対応する術はさまざまあろうが、概して家族の認知症への対応は、後追いになることが多いのではなかろうか。

 

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母朧介護の父も朧めく

 

迂闊だったのは私だ。「そうか、幸彦は息子やったんか。これは迂闊やったなあ……」一緒に飲んでいた父が心底驚いたように言った。父も認知症になることは、想定できた。なのに、それは想定外だった。そうなってほしくないという願望が、その想定を遠ざけていたのだろう。願望もまた認知症という病気の萌芽を、看過させてしまう。

圧迫骨折での入院をきっかけに認知症が急激に進んだ父は、もうほとんどことばが発せられなくなって家に戻ってきた。その父が亡くなる一ヶ月程前にぼそっと「おまえは誇りやさけ」と言った。実際は、はっきりとは聞き取れなかった。そう聞き取ったのも、私の願望に違いない。

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風花

風花や母の下着を干す父に

 

母が病んだからというわけではない。共働きのわが家では、若い頃から父は炊事も洗濯もした。父と母と私の三人の暮らしになってからも、炊事と洗濯は主に父の仕事で、父が母の下着を干していることに特別の感慨をもったことはなかった。

だが、この日の父の姿には、ことばに尽くせぬ母への深い思いを感じた。母の認知症が進むにつれて、教員だった父は退職教員の会合などにもほとんど参加しなくなった。母のことは姉と私が看るからと言っても、なにやかやと理由をつけて、母の傍を離れようとしなかった。

とは言えこの日の感慨は、あるいは父に降りかかる風花がもたらしたものかも知れない。

 

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秋灯

秋ともし母の徘徊数十歩

 

心臓が止まるかと思った。まだ父が生きていた頃のことだ。秋の夜、車で家からほんの数十歩ほどのところまで帰ってくると、パトカーが停まっている。何事?と思いつつ通り過ぎようとすると、母がいるではないか。あわてて車を車庫に入れ走って引き返し、「あの家の者です」と数十歩先の灯を指した。道で横たわっていたところを通りがかりの人が通報してくれたのだという。母が徘徊したのは、この一回きり。夜中に出ようとしたことが何度かあったが、幸いにも玄関の鍵を開けられず、未遂に終わった。

この夜、父はかなり酔っていて、母が一人で家を出たことに気づいていなかった。買ったばかりの日本酒の五合瓶が空になっていた。

 

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バナナ

母病みてある日抽斗よりバナナ

 

いま思えば、あれが前触れだった。ある日、食器棚の引出しから食べかけのバナナが出てきた。「こんなとこへバナナ入れるなよ!」と言いはしたものの、元来天然なところのある人だったから、さして気にも留めなかった。むしろ、これが母だと思っていた。

あれから二十数年、母はやわらかに病み続け、おそらく今は認知症の末期にさしかかろうとしている。母の介護に献身した父が亡くなって三年、私の生活の中心は介護となった。

介護生活の喜怒哀楽の「楽」が俳句だ。今では介護の合間の俳句が、しばしば俳句の合間の介護となる始末だ。そんなゆるい私の介護を「俳介護」と名付けて、俳句と文章で綴る。介護同様ゆるいので、更新は折々。

 

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中

 

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