冬に入る

姉焼けるパンやはらかく冬に入る

 

姉はパン作りが趣味だ。毎週2回、パンを焼いて持ってきてくれたので、わが家では朝食のパンは長らく買うことがなかった。定番はチーズの入ったパンと金時豆の入ったパンで、ときどきオレンジピールやレモンピールの入ったパン、桜餡やずんだ餡の入ったパンを焼いてきてくれた。

ただ、1年ほど前から姉のリウマチの症状が進んできて、パン生地を捏ねるのが大変になり、パン作りも体調次第となってきている。老母を介護する姉と私も、体調万全とはいかない日が増えてきた。

焼きたてのパンは、もちろんどの季節もおいしいが、私は初冬に食べる、やわらかくほの温かいパンが好きだ。

 

半額以下商品多数!おトクな買い物で社会貢献【Kuradashi】

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

夢の世を母生きわれは葱作る

 

不思議だ……。なんて明瞭に喋るのだろう。一人で幻と喋っているとき、寝言を言っているときの母の声は、驚くほどしっかりしている。ところが、目覚めて私と喋ると、呂律が回らなかったり、寝ぼけたような話し方になったりすることが多い。母にとっては、私と接する時間が夢で、夢の中の時間が現実であるかのようだ。

永田耕衣に「夢の世に葱を作りて寂しさよ」パロディのつもりも、ましてや「本歌取り」のつもりもなく、ただ葱を植えていて、耕衣のこの句を思い出し、「夢の世」から母を想って詠んだ。耕衣は、母の句をたくさん詠んでいる。そのためか、雲の上の人なのに、どこか身近な人のように思えてしまう。

 

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

問うておき話を聞かず餅食ふか

 

母は以前ほど喋らなくなった。ことばが出てこないせいもあるのだろうが、本能的にエネルギーの消費を抑えているのかも知れない。(と、書いているいま、一人で意味不明のことをずっと喋り続けているが……。)

以前はよく質問をした。食品のパッケージの商品名を見て「なんということよ?」と尋ねたり、キッチンの調理用具などに目をとめて「ありゃ、なによ?」と訊いたり……。柿を見せたときに、「いつまで柿よ?」と問われた時には、ちょっと虚を突かれた。確かに腹に入れば、もうそれは柿ではない。

だが、問うておいてこちらの説明には興味を示さず、餅など食っている時には思わず「おい!」と言いたくなる。

 

 

 

さばが好き!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

寒卵

寒卵老母の糧の限られて

 

いまの母は、肉と魚はほとんど食べない。うまく飲み込めないらしく、たいていは吐き出してくる。軟らかい肉や魚でも吐き出してくるので、母の皿にはほとんど盛らない。ミンチ状の肉か薄い豚バラ肉、お刺身などは食べられることもあるが、それもその日の調子しだいだ。まあ、調子の悪い日はご飯もパンも吐き出してきて喉を通るのはバナナかプリンぐらいなので、ことさら肉や魚に限ったことではないが……。

そうなってくると、母のタンパク源はもっぱら卵ということになる。ところで卵というもの安すぎはしないか。もちろん安いのは有難いことだが、生産者を思うと(そして産んでくれる鶏を思うと)ちょっとせつない。

 

半額以下商品多数!おトクな買い物で社会貢献【Kuradashi】

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

雪女

雪女出でぬか母狂へるいま

 

とは言え雪女にも都合はあろうが、母をどう宥めても収まらない日などは、いっそ雪女でも現れてくれないか思うことがあった。いまはもう立って歩くこともないし、夜中に喋るといっても、放っておいてもいいような内容だからかまわない。だが、まだ歩ける頃、夜中に起き出して家へ帰るなどと言って聞かないときは、もう泣きたいような気持ちだった。(実際、何度も泣いた)

歳時記には、「雪女(雪女郎)」は架空の季語とあるが、こちとら架空を生きる母と暮らしているので、もし本当に現れても驚かないと思う。いや、嘘です。臆病者なので震えるに違いないが、雪女が文脈なき母にどう接するか、見てみたい気もする。

 

さばが好き!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

冬菫

冬菫ちよんと突いて母を看に

 

「菫程な小さき人に生れたし」(※)夏目漱石。ある解釈には、この句の「菫程な小さき人」とは、世の中のしがらみを離れ、目立たずひっそりと、しかし、たくしましく健気に生きる人とある。この解釈に触れて、私は母のことを思いうかべた。いま母は世の中のあらゆるしがらみをわすれ、小さな人になって健気にいのちをつないでいる。それ以来、すみれには他の花にない親近感を抱くようになった。

冬のすみれは、「がんばれ」と小声で励ましたくなる存在であると同時に、こちらも元気をもらえる存在である。そんな冬菫にあいさつをして、母の許へ向かう。心なしかいつもより足取りがかるい。

 

※『合本 俳句歳時記 角川書店編 第五版』より

 

 

わが家も減塩!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

風邪

三分の一ほど風邪という老母

 

母の嚏は一回では終わらない。なぜか一度くしゃみが出ると、十回近く続く。そしてその後、「風邪ひいた」と言うのが口癖だ。ただ、この日は姉が、「お母さん、風邪引いたん?」と問うと、「三分の一ほど風邪」と答えた。母は認知症には違いないのだが、たまに認知機能の衰えた人にこんなことが出来るのか、と思わせる離れ業を演じる。例えば食事の時、箸がうまく使えないとフォーク、フォークがだめならスプーン、それもだめなら手で、と段階的に手段を変えたりする。

ところで掲句、俳人ならば「風邪心地」と使うところか。月野ぽぽなさんに「半身が深海となる風邪ごこち」(※1)・鈴木牛後さんに「風邪心地わが外側に誰かゐる」(※2)

※1 2010年 角川『俳句11月号』 ※2 2016年 角川『俳句11月号』

 

さばが好き!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

冷たし

こは左そは右と着す手が冷た

 

袖の中でつかまえた母の手は冷たかった。朝、体温と血圧・脈を測り、おむつを替え、清拭をして着替えをするのだが、母がうまく袖に手を通せない時がある。そんな時は、袖口のほうから自分の手を通して母の手を迎えにいく。ヘルパーさんや看護師さんから教えていただいたやり方だ。母は左右を間違えることも多くなった。右手を出すように言うと左手を出し、左手を出すように言うと右手を出す。そこで「これは左手」「それは右手」と言いながら服を着せることになる。

波多野爽波の句に「手が冷た頬に当てれば頬冷た」。(※)「冷たい」と言いながら、温かいものが伝わってくる。ことばを尽くしてもなかなかこうはいかないだろう。俳句だ。

※『合本 俳句歳時記 角川書店編 第五版』より

 

おトクな買い物でフードロス削減【Kuradashi】

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

元旦

元旦も老母の背中掻いてをり

 

季節も月日も時間も母には関係ない。ただ、内なる要求のままに、食べて寝て排泄する。周囲が母のペースに合わせられるなら、認知症であっても、それなりに生きられるのかも知れない。だが、少なくとも姉や私は社会一般の暦と時計で生活している。すべてを母に合わせていたら、こちらの生活が成り立たない。私にできるのは、できる限り「遊びの時間」をもっておいて、少しでも母のペースに合わせられるようにすることだ。その母のための「遊びの時間」を、しばしば自分の時間にしてしまう私ではあるが……。

とは言え、正月から母の背中を掻けるのは幸せなことだ。能登で大地震のあった二〇二四年の新年は殊更その思いが深い。

 

さばが好き!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

冬の雷

冬の雷母の陰より響くごと

 

はじめて老母の陰部を拭いた。私にとって、それは衝撃だった。その時の感覚は、母以外のそれを見た時とも、子どもの頃に風呂で母のそれを見た時とも違う。その瞬間は、自分の母親の陰部を見るという照れくささは消えて、何か厳かなものに対したような心境になった。そう感じたのは、ここから自分が生まれてきたからだろうか。あるいは私が男だからかも知れない。いずれにせよ私には、男根より女陰のほうがはるかに崇高なものに思われる。

もし人間の性器が楽器なら、男性器はチーンなどという安物のベルのような音しか出せそうにないが、女性器はどどどという和太鼓のような音を響かせられるような気がする。

 

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では、短歌・詩・その他俳句を公開中

 

半額以下商品多数!おトクな買い物で社会貢献【Kuradashi】

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村