ご挨拶

ようこそ、俳介護のページへ

 

ご訪問いただき、ありがとうございます。

本サイトは、老母を介護する日々の合間につくった俳句や短歌に短文を添えたブログ調のウェブページです。

タイトルの「俳介護」は“介護の合間の俳句”が、ともすれば“俳句の合間の介護”になってしまう自分の行為を名付けた造語です。

このページをスクロールしていただいた直下のページが最新のページとなっていますが、初めての方は、2023年11月の第一回「バナナ」のページをまずお読みいただけると有り難く存じます。

なお、ページの中で綴られる出来事は、時系列にはなっていないことを申し添えておきます。

 

※noteの「喜怒哀”楽”の俳介護+」でも、短歌・詩・その他俳句を公開中です。

 

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母の心根

盗られしと一度たりとも訴へず母は財布を無くせしといふ

 

母はこころの美しい人であった。わたしがそう思うのは、認知症になってからの母がなんの忖度も遠慮もなく、自分の感じたままを率直に表現しながらも、人を非難したり、疑ったりすることばをひと言も口にしなかったからである。

認知症の人の中には、自分が財布をどこに置いたかわすれたときに「財布を盗まれた」という人も少なからずいるという。しかし母は「わたしの財布どこぞへいてしもた」とか「わたしや財布なくした」とかいっても、「盗られた」といったことは一度もなかった。

もちろんことばのやり取りの中で、腹の立つことやつらいこともあったが、母の心根の美しさがよく分かっていたから、母を嫌いになることは一度もなかった。

 

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豆の花

この日々の手触りいとし豆の花

 

11月8日に、まったく同じモチーフの短歌を掲載したので、二番煎じのような作品になってしまうが、同じモチーフの短歌バージョンと俳句バージョンというふうに受け止めていただけたら有難い。

日々の手触りとは、時という無形のものと、自分や自分に関わる人びとや物という有形のものが一体化して確かにそこに「在る」と感じられることとでも表現したらよいだろうか。いずれにせよこれまでの暮らしを振り返ると、手触りのある日々と手触りのない日々がある。

それらの中でも母が亡くなる前の3年程の生活は、時と母と自分とが確かに「在る」ことを実感できる日々であり、それはもう触れることができないだけに「手触り」と表現するにふさわしい日々である。

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母と子で名告り合ひたる朝の霜

 

母がいつも目覚めたときに、わたしを知らない人だと思って驚いたり、怖がったりしてはいけないと思って、「幸彦です」と名告ることにしていた。それで分かるときもあれば、名前を聞いても自分の息子だと分からずによその人だと思っているようなときもあって、ある日「幸彦です」と名告ると、母もまた「和子です」と名告った。その母の律儀な名告りぶりが妙に面白かった。

目覚めた母の記憶は、霜に覆われたように真っ白で、それが徐々に解けていって、ああ、そうだ、これは私の息子だったというように思い出すのかもしれないとそのとき思った。もっともその霜は冬に限ったことではなく、季節を問わず、母の記憶を覆ってはいるが……。

 

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葛の花

葛の花われに心の根なる母

 

葛を見るたび、地下に広がる膨大な根を想う。山の斜面を覆い尽くすほど蔓や葉を繁らせるためには、どれほどの根を地中に張り巡らせねばならないことだろうか。もっともその根からあの美しい葛粉がとれて、その葛粉からあのおいしい葛餅が出来なければ、そこまで根のことに意識が向かなかったかもしれない。

生命力の強さを感じさせる蔓や葉、美しくおいしい葛粉と葛餅、さらにはあの鮮やかな紫の花もまた、逞しい根の賜物である。

葛の花を見ていて、自分もいつか心の中にこのように美しいを咲かせてみたいものだと思った。心の花を咲かせるためには、心の根が必要だ。もし私が心の花を咲かせられるとしたら、母という心の根のお陰に違いない。

 

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初鰹

初のつく物みな母に初鰹

 

「初物を食べると寿命が延びる」といわれている。だから、できる限りわが家では、初のつく物を母に食べてもらうようにしていた。

スーパーなどでその年初めて出回った食材もそうだし、家庭菜園で作っている野菜も、初生りの物はまず母に食べてもらっていた 「初物を食べると寿命が延びる」というのは俗信には違いない。しかし、買うときも作るときも、それを意識することは食事に気を配ることになるから、結果的にこの俗信を信じることは健康的な食事に通じると思う。

ただ、仮に初物を食べたから母が長生きしたのだとして、その長生きが母にとって幸せだったかどうか……。その点について、いまだに私は答えを出せないでいる。

 

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夏落葉

丁寧に暮らしてをればそのうちに何か変はると夏落葉掃く

 

玄関の飾り棚に花を飾れた日、私は自分に言い聞かせる。「よし、まだこころは潤いを失ってはいない……」

介護をしていると絶望的な気持ちになることがある。これがいつまで続くのだろう。長く続けば続くほど母は衰えていくのだ。そして結局のところ母は死ぬのだ。そんな気持ちのときは暮らしの端々がどこか粗略になる。

そこで花を活ける。庭を掃く。しっかりと食べる。ことばに気を配る。もちろんそれでも母は衰えていくし、いずれは死ぬ。だが、結末は同じでも何かが変わると信じて……。

母亡きいま、喪失感と未来への不安に苛まれながらも、やはり同じことを自分に言い聞かせている。

 

※ この作品は第26回NHK全国短歌大会入選作品集に掲載されています。

 

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病む母に添へば桜も聞くばかり

 

この春、姉と7年ぶりに花見に行った。父と母と姉と4人で海南市の小野田にある宇賀部神社に花見に出かけたのが7年前。その年の秋からの1年余りは母の体調がすぐれず3度の入院があり、翌年の初夏には父が亡くなり、夏には母が骨折し車椅子生活となってといった次第で、それから6年一度も花見に行くことはなかった。昨年の秋母が亡くなって7年ぶりの花見となったわけだが、この間桜は私にとって花便りを聞くだけの花であり、物理的にも精神的にももっとも遠い花であった。

長い人生の中には人との交わりにも時期によって親疎があるが、自然との触れ合いにもまた親疎がある。

 

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数の子

数の子を食ふたび父の逸話かな 

 

 いまnoteという媒体で、『私の 母の 物語』という小説を毎日書き続けている。母が認知症になってから、亡くなるまでを家族の歴史もふくめて書くつもりでいる。ちょうどここ2、3日は父にまつわることを書いているときなので、今回はこの句を掲載することにした。

父と母が分校の教員用住宅に住んでいたころ、当時まだ高価だった数の子をお正月のおせち料理の一品として買った。新年に友人が訪ねてきたので、父は酒の肴に数の子を出すようにいった。すると、母は数の子をあるだけ出してしまって、友人はそれを全部食べてしまい、父は楽しみにしていた数の子をすこししか食べられなかった。

父は正月に数の子を食べるたびにその話をした。いかにも母らしい逸話だ。

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中

 

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爽やか

爽やかに母来し方をわすれけり

 

四十年来のペンフレンドであるイラストレーターの永田萠さんと先日10年ぶりにお会いして、こんな話をうかがった。

作家の田辺聖子さんがこうおっしゃったという。人には地金というものがあって、一生の中で地位も名誉も財産も実績もあらゆるものが剥がれ落ち、その地金が出るときがくる。そのときに、その人の真価が問われるのだが、残念ながらそれは生まれつきのもので努力では身につけられないものだと。

認知症が進み、自分の過去も子どもである私のこともわすれてしまった母との暮らしは、まさに母の地金に触れた数年であった。

母の地金は美しかった。哀しみが募ると知りながら、私が母のことを書かずにおれないのは、母の地金の美しさゆえかも知れない。

 

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汗疹

わが手抜き母の汗疹となりにけり

 

母の生前、週一回訪問入浴と訪問看護に、週二回ヘルパ―さんに来てもらっていた。入浴の日はもちろんだが、訪問看護師さんやヘルパーさんが来てくれる日も清拭をしてくれるので、母の肌は九十歳を過ぎた老人とは思えないくらい潤っていた。ただ、冬場の乾燥はそれで防げたが、夏場は乾燥しないかわりに湿疹などできやすく、これは週三日の手当では防げないこともあるので、私もできる限り母の身体を拭くようにしていた。そのときに、母の身体に湿疹やあざがないかなどしっかり見ているつもりでも、気づいていなかった汗疹やあざを訪問看護師さんやヘルパーさんから指摘されることも少なからずあった。

生きている身体は日々変化する。母の身体に表れた汗疹は、母が生きている証でもあり、母を介護する私の手抜きの証でもあった。

 

※ この作品は第26回NHK全国俳句大会入選作品集に掲載されています。

 

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