柿若葉

柿若葉笑まひつつ亡き父に詫ぶ

 

この句を詠んだのはまだ母が存命の頃である。父に対しては、特に認知症の症状が顕著になってから亡くなるまでの二年余りの自分の対応に深い後悔があった。

しかし、時の経過とともにすこしずつ気持ちの整理がついてきて、ふと笑顔で父を思い出せる日も増えてきた。その頃に詠んだ句だ。ただ、母が亡くなるとなかなかこの句を公開する気持ちになれず、もうお蔵入りにしようかとも考えていた。

三日前に父の夢をみた。うれしそうに笑っていた。そこでふとこの句を思い出した。父や母を亡くした哀しみは消えることはない。それでも、生きていれば笑えるときもある。笑えるときに笑っておこう。そう思ってこの句を公開することにした。

 

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更衣

更衣なほ在りし日の母と生く

 

母が亡くなって、着物も洋服もほとんどの物は処分してしまったけれど、クローゼットの中にはまだ少なからぬ母の服が残っている。その中には単なる無精のせいで捨てられていないものもあるが、なんとなく愛着があって捨てがたくて残しているものもある。

亡くなって1年半が経ち、もう四季を一周半したけれど、自分の普段着も母と同じクローゼットに入れてあるので、季節の変わり目になると母の服に目がとまって、「ああ、この頃はこの服をよく着ていたなあ・・・」などと母の姿を思い出すことがある。

今日は私の六十一歳の誕生日。あと何年生きるか分からないが、生きていた頃の母の姿を胸に留めて、ずっと母とともに生きていくつもりだ。

 

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梅雨寒

梅雨寒や父の忌に飲む燗の酒

 

亡くなった父は酒が好きで、中でも日本酒が一番好きだった。亡くなった2020年の6月9日は2024年に亡くなった母の誕生日の翌日であった。亡くなる前日、もうことばは発せられず、口からは何も摂れなくなって点滴を打っている状態だったが、母の誕生日だから一緒に酒を飲もうと父の唇にスポンジで酒を塗ると、その目がすこし笑っているように見えた。

その後は命日になるたび杯を二つ用意して、父と一緒に杯を傾けるつもりで酒を飲む。6月なら私は冷酒のほうがいいのだが、父は燗酒のほうが好きだったからせめて命日くらいは父の好みに合わせて今年も熱燗を飲む。

 

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汗だくの介助も母の尿ちよろり

 

「おしっこがしたい」と言われてトイレに連れていくのだが、いざトイレに行くと尿が出ないということが母にはよくあった。そこでベッドに戻ってしばらくすると、また「おしっこがしたい」と言う。それでまたトイレに連れていくのだが、足が萎えてからはその度ベッドから車椅子に移乗して、またトイレで車椅子から便器に移さないといけないから、夏などはそれだけで汗だくになってしまう。

そうやってトイレに連れていって、「ちょろり」っと音がしてそれで終わりだと、「こっちの流した汗の量と変わらんやないか」と思ったものだ。

しかし、いま思うと介護というのは、その「ちょろり」のために汗を流す行為なのかもしれない。

 

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薄暑

老母にも汗かかせたき薄暑かな

 

不整脈のある母には温度差がないほうがよいと考えて、わが家では春、秋のある時期を除いては、年中エアコンをつけて室温を一定に保っていた。そのせいか、ほとんど母が汗をかくのを見なくなった。もしかしたら、冷房を入れることによって汗をかかなくなり、汗腺機能が衰えてしまっていたのかも知れない。よかれと思ってやっていたことが母の身体にとって、よかったのかどうか・・・。

風薫る初夏のさわやかな日など、母を車椅子で外に連れ出して、うっすらと汗をかかせてやりたいと思うことがあったが、結局それも果たせないままに終わってしまった。

俳句に詠むより実践することこそが「徘介護」だったといま改めて反省している。

 

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打水

水打たむ母在らざらむ日のわれも

 

母が生きていたときにこの句を詠んだ。往診の医師を迎えるとき、母に癇癪を起こしてしまった自分の気持ちを鎮めるとき、私は庭に打水をした。

いつか母は死んでしまうだろうが、それでも夏になったら打水をしよう。母のことを思い出しながら・・・・・・。そんな気持ちでこの句を詠んだ。

しかし、母を亡くして迎えたはじめての夏、私は一度も打水をしなかった。正直、この句のことはわすれていた。もっとも仮に覚えていて打水をしたとしても、さみしさを募らすだけだっただろうから、わすれていたことは幸いかもしれない。

いつか母のことを思い出しながらも、おだやかな気持ちで打水のできる、そんな日がくることを願っている。

 

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明易

明易し夜通し喋る母手強

 

いま母親を施設に入れて介護している友がいる。ところが、ご母堂からは時間かまわず携帯電話がかかってくるという。これでは気の休まるときがあるまい。

自分はどうだったか。母と一緒に暮らしてはいたが、四六時中気の休まるときがないという状態はなかったように思う。もっとも私の場合、母がまだ活発な頃は父や姉と一緒の介護で、一人で母の相手をしているわけではなかったので、そのお陰もあるが・・・。

それでも父が亡くなって、母の隣に寝るようになってから、月に一、二度母が夜通し訳の解らぬことを喋り続けることがあって、これにはお手上げであった。短夜の頃などは何とか眠ろうと思っている間に空が白んできて、明るくなってから二時間ほどまどろむ、そんな日もあった。

 

 

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涼し

客の菓子食うて涼しき顔の母

 

訪問看護師さんや訪問リハビリの理学療法士さんが来てくれる日は、一段落すると皆でお茶の時間を設けていた。日々の楽しみらしきものがない母にとって、甘い物を食べるのが唯一の楽しみであった。

それを知っている看護師さんや理学療法士さんたちはよく自分の分のお菓子を母に勧めてくれた。もはや子ども同然で遠慮会釈もわすれてしまっている母はそれをさも当然のように口に入れる。時には勧められる前からお客の菓子に手を伸ばす。

さて、掲句は俳句としては駄句である。「涼し」は時候の季語であり、本意は暑さの中の凉ということだ。それを「涼しい顔」という慣用表現としてつかっては季語とは呼べまい。だが、私はもはや秀句にはこだわらない。俳介護はこれでいい。

 

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遠泳

岸見えぬ遠泳のごと介護とは

 

親の介護をしていて心が折れそうになるときは、終わりが見えないと感じるときではないかと思う。それはまるで岸の見えない遠泳をしているような感覚だ しかも岸にたどり着くということは、すなわち介護している親が死ぬということなのである。心が折れそうになるのも無理はない。

それでも多くの人は、岸に着く前に溺れてしまう不安と闘いながら泳ぎ続ける。終わりが見えないからといって、ぷかぷかと海に浮かんでいるゆとりは介護にはない。

もっとも私の場合、泳ぎ着いたというより流れ着いたというようなものだが、友人たちの中にはまさにいま遠泳をしている人たちがいる。どうか無事に泳ぎ切ってくれることを祈るばかりだ。

 

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涼風

涼風の夢を見ている寝顔かな

 

もう姉のことも私のことも、もしかしたら自分が誰かさえもはっきり分からなくなっていた母にとって、目覚めている時間と眠っている時間、どちらが幸せだっただろう。

もちろん悪夢にうなされる日もあったには違いないが、それでも母がいかにも楽しそうに寝言を言っているのを何度も耳にしたことがある。それが夏の昼間なら、その心地よさそうな顔はまるで涼風に吹かれているようであった。

幸せそうな母の寝顔。それを見ることは私のこころ救われる時間である同時に、一抹のさみしさを感じる時間でもあった。目覚めて私と過ごしているときに、母はこんな顔をしてくれることはもうないだろうと思われたから。

 

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