すずろなるかなしみもあり水の秋
こころを澄んだ水を湛えた器に喩えるとしたら、感情というのはある種の濁りとみることも出来るだろう。そして喜怒哀楽の感情には、それを生じさせる何かがある。
人に親切にしてもらった喜び、理不尽な世の中に対する怒り、愛する人を喪った哀しみ、好きなことに没頭している楽しさ・・・何もないところに感情は生まれない。
ただ、その何かが自分でもよく分からないということはときどきある。はっきりとした理由は分からないが、なんとなく笑みがこぼれてくるとか、我知らず鼻歌を唄っているとか・・・。
この句を詠んだときは、とにかく無性に哀しくて、「何が?」と自分に問うても答えが出なかった。
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こんにちは。
人間が持つ感情って何なんだろうかと考えることがある。
直面してる物事に対して、
本来は、すべきことや対処があって、
ただ、それだけのことで、
そこに、感情と言うのはいらないはずなのに、強い感情が起こって、判断を誤らせたり行動を妨げる。
変な期待があったり、未練があったり、
そして、そこに喜びもあるが、また大きな落胆もある。
そして、そんな生活は苦しい。
そういうことに囚われない、
AIのように生きていきたいが、
なかなかそれもできない。
十郎さん、いつもコメントありがとうございます。
感情に左右されない悟った生き方は望ましいようにも思えるけれど、苦しくても喜怒哀楽のある生活のほうがやはり人間らしいのだと私は考えます。もちろん楽ではないですけれど、そのほうが生きているという感じがします。