桜2

あれからと歳を数ふる桜かな

 

人は自分の死を意識したとき、「あと何回桜が観られるだろうか」とか「来年の桜は観られるだろうか」などと、桜という花を意識するのだと聞いた。

これは自分の死以外にも当てはまるかもしれない。父が亡くなったのは六月、母が亡くなったのは九月だったが、その忌日よりも春がめぐってきて桜が咲くたびに、「あれから何年・・・」という具合に歳月の経過を思う。

父と母との楽しい思い出には、花見よりもずっと楽しい思い出がたくさんあるのだが、毎年決まって思い出すのはやはり一緒に桜を観た記憶である。

私はそれほど桜が好きではないが、やはり日本人にとって特別な花だということは疑いない。

 

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病む母に添へば桜も聞くばかり

 

この春、姉と7年ぶりに花見に行った。父と母と姉と4人で海南市の小野田にある宇賀部神社に花見に出かけたのが7年前。その年の秋からの1年余りは母の体調がすぐれず3度の入院があり、翌年の初夏には父が亡くなり、夏には母が骨折し車椅子生活となってといった次第で、それから6年一度も花見に行くことはなかった。昨年の秋母が亡くなって7年ぶりの花見となったわけだが、この間桜は私にとって花便りを聞くだけの花であり、物理的にも精神的にももっとも遠い花であった。

長い人生の中には人との交わりにも時期によって親疎があるが、自然との触れ合いにもまた親疎がある。

 

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