毛布

遠からぬこと思ひつつ毛布掛く

 

父や母が80歳を過ぎた頃、一緒にいられるのもせいぜいあと7、8年だろうから、共にいられる時間を慈しむように生きていこうと思った。それでも父が84歳で亡くなったとき、はげしく動揺した。あの時、ああしておけば良かったという後悔ばかりが、頭の中を駆けめぐった。認知症の母を、父と姉と私で支えようとしてきた。だが、本当に支えるべきは父だったのではないか……。

母はよく布団や毛布をはねあげる。まあ、暖房を入れっぱなしにしているので配はないけれど、隣で寝ている私の方が気になってしまう。起きて動いたり、喋ったりしているときよりも寝ているときのほうが強く、「あとどれくらい……」を意識する。

 

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野分

野分めく母より逃ぐる二メートル

 

珍しく母が怒った。機嫌の悪い日はあっても、他人に対して激しい口調になることはほとんどない。認知症になってからもそれは変わらなかった。だが、この日は私が感情的になり、母もよほど腹が立ったのだろう。「もう往ね(帰れ)!」と私に言い放った。こんな時は、触らぬ神に祟りなしとばかり母から逃げておくに限るが、この時の母はまだかろうじて立てたので、うっかり車椅子から立ち上がって転んだら大事だ。(実際、洗濯物を干している時に車椅子ごと倒れたことがあった。)何かあったらすぐに助けにいける場所にいて、母のこころの嵐が過ぎ去るのを待った。

若い頃ならこの倍は距離を取れた。いまは正直この距離でも間に合うかどうか……。

 

さばが好き!

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虹出でて老母の便も出でにけり

 

母の便が出ると、機嫌が直る。母ではなく私の。介護生活の喜・怒・哀・楽は、四分の一ずつというわけにはいかない。私の場合は喜喜・怒怒怒怒・哀哀哀・楽ぐらいだろうか。季節も時間も分からない母にはTPOはないから、こちらの事情などおかまいなしにいろいろな要求が飛んでくる。その大半が「家に帰りたい」とか「(意味不明の)してよお」とか、手が離せない時の「ちょっと来てよお」とかなので、繰り返されるとこちらも堪忍袋の緒が切れる。そんな時でも「うんこしたい」と母が言い、実際にうんこが出ると、私の機嫌は一変に直ってしまう。

その日は空に虹も出た。まさに好日。迷うことなく詠嘆の「けり」だ。

 

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桃の花

菓子握りしめたる老母桃の花

 

母は糖尿病である。毎日私がインスリン注射をうつ。当然、医者からは「甘い物はほどほどに」とか「ご飯少なめ。おかず多めに」とか言われる。

とは言え、日常の楽しみのほとんどない母にとって、甘い物を食べるのは唯一とも言える楽しみである。だから、姉も私も甘い物を制限する気にはなれない。毎日おやつの時間を設ける。

菓子は、手で食べられる物が多いのがよい。箸もフォークもスプーンもうまく操れなくなった母は、食事のときはもどかしかろうと思う。菓子だけは自分の手で持てるから思うように自分の口に運べる。ま、ときどき口を逸れて頬に餡をくっつけたりするけれど……。

 

※ この作品はnote(俳句「桃の花」|@haikaigo (note.com))に先行公開しました。

 

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寒卵

寒卵老母の糧の限られて

 

いまの母は、肉と魚はほとんど食べない。うまく飲み込めないらしく、たいていは吐き出してくる。軟らかい肉や魚でも吐き出してくるので、母の皿にはほとんど盛らない。ミンチ状の肉か薄い豚バラ肉、お刺身などは食べられることもあるが、それもその日の調子しだいだ。まあ、調子の悪い日はご飯もパンも吐き出してきて喉を通るのはバナナかプリンぐらいなので、ことさら肉や魚に限ったことではないが……。

そうなってくると、母のタンパク源はもっぱら卵ということになる。ところで卵というもの安すぎはしないか。もちろん安いのは有難いことだが、生産者を思うと(そして産んでくれる鶏を思うと)ちょっとせつない。

 

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子規忌

子規の忌のもう一献は律さんへ

 

もし子規の時代に介護ベッドがあったら……。あるいは車椅子があったら……。もっとも子規がそれを利用できたかどうかは分からないが……。介護用具も介護サービスもない時代の介護は、今とは比べものになるまい。母八重や妹律の献身なしには子規の偉業はなし得なかったことは疑うべくもない。ふと子規の命日に酒を供えて、律さんにも一献差し上げたくなった。

「律さん」とは馴れ馴れしい呼び方だが、子規を介護していた頃の年齢を思えば、「律女」でも「律様」でもなく、親しみを込めて「律さん」と呼びたくなる。また、これは同じく介護をしている者としての共感を込めた呼び方でもある。

 

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ご挨拶

ようこそ、俳介護のページへ

 

ご訪問いただき、ありがとうございます。

本サイトは、老母を介護する日々の合間につくった俳句や短歌に短文を添えたブログ調のウェブページです。

タイトルの「俳介護」は“介護の合間の俳句”が、ともすれば“俳句の合間の介護”になってしまう自分の行為を名付けた造語です。

このページをスクロールしていただいた直下のページが最新のページとなっていますが、初めての方は、2023年11月の第一回「バナナ」のページをまずお読みいただけると有り難く存じます。

なお、ページの中で綴られる出来事は、時系列にはなっていないことを申し添えておきます。

 

※noteの「喜怒哀”楽”の俳介護+」でも、短歌・詩・その他俳句を公開中です。

 

合歓の花

老母まだおとぎの国に合歓の花

 

母が寝言をつぶやいている。その顔が笑っている。きっと楽しい夢を見ているのだろう。いまの母にとって、こうして楽しい夢を見ている時が一番幸せなのかも知れない。

認知症が進み始めた頃の母の日記が残っている。二か月にも満たない短い期間だが、それを読むと目が潤んでくる。自分の記憶が蝕まれていくことの混乱と恐怖はいかばかりだっただろう。亡くなる一、二年前の父もそうだったに違いない。何かを言いかけて「出てこん……」と深いため息をついた父の顔がわすれられない。

それでも認知症という病気を私は憎めない。何度も泣かされたが、大切なことも教えてくれている病気のようにも思える。

 

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この人が好き

やはらかな目覚めの顔で「幸彦か……」とつぶやく母よこの人が好きだ

 

幸せよりも幸いがいい。もちろん独身男のひがみととってくれてよい。幸せにはなりたいが、昨今どうも幸せ過ぎることは、どこかで苦しんでいる人が本来享けるべき分を横取りしていることのような気がしてしまう。

私の名前は、「幸せな男子」ではなく、「幸いな男子」という意味だ。父は十二人兄弟で女が十人。母は四人姉妹。女子の多い両家の中で唯一、幸いにも本家を嗣ぐ男子が生まれた。それで幸彦と名付けたと聞いている。

介護のいる母と暮らしている今を幸せというのは、さすがに瘦せ我慢めくが、母が生きていてくれることは素直に幸いである。そしていつか母が旅立っても、やはりそれも幸いではないかと思う。

 

 

わが家も減塩!

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春曙

春曙エンドレスなる母の問ひ

 

主語も目的語もない。曙に目覚めた母が、「1にしたらどうなる?」と問いかけてきた。「何を?」と尋ねたところで、母が答えないことは分かっている。なので適当に「そら、2にならよ」と答えてみた。すると、「2にしたらどうなる?」と返してきた。こうなれば続けるしかない。3・4・5・6……と続けて、10ぐらいで寝たふりをした。母はまだ一人何か喋っていたが、本当に眠ってしまったので以後は分からない。

無意味ではあるが、一応はこれもことばのキャッチボールと言えようか。近ごろ稀になった貴重な母との会話の時間とも言える。いつか「あの時せめて50まで会話しておけばよかった」と思う日が来るのかも知れない。

 

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