小春

車椅子の母と小春を慈しむ

 

自分の足で歩けなくなり、車椅子での暮らしとなって、家の中ばかりでいる母をたまには外に連れ出してやりたいと車椅子用スロープをレンタルもしていたのだが、昨今の気候は暑すぎたり寒すぎたり、不整脈のある母を外に連れ出すには逡巡するような日が多かった。今日はよい日和だと思ったら、今度は母がなかなか起きてくれないなど、タイミングを逃してばかりで、結局母と日向ぼっこをしたのは四年間でほんの数回しかない。

母が認知症になった時から、父と母と三人でいるこのときを慈しみながら暮らしていこうと思ってきたが、どれだけそれが出来ていたか・・・。

どれほど慈しんでも慈しみ足りない、そんな時間のあることを父や母を喪って、つくづくと感じている。

 

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小春

病む母の笑みこそわれの小春かな

 

高齢者を在宅で介護している家というのは、季節でいえば常に冬のようなものである。どんなに懸命に介護したところで、待っているのは死だ。老いと死を逃れる術はなく、人生の最晩年を生きる者にふたたび春が巡ってくることない。

そうは言うものの、冬には冬の良さがある。概して楽しみなことの少ない冬だからこそ、ささいなことがうれしかったり、共に在ることの喜びを感じたり、今までなんでもなかったことの有難みに気づくということもあった。

そして、私にとって何ものにも代えがたかったのは、母の笑みであった。それは冬のさなかに小春のように、私のこころと身体を温めてくれた。

 

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