時鳥2

時鳥看取りの朝の静けさや

 

いつまで親の死にこだわっているのか・・・・・・。そう思われる方もいるだろう。いつまで同じ題材で俳句を作るつもりなのか・・・・・・。そうおっしゃる方もいるだろう。

それでも私はずっと両親の介護や死にこだわり続けて、そのことを一句でも一首でも多く作品にしたいと考えている。要は、介護の喜怒哀楽を作品に昇華できるまでということになるだろうか。もっともその日は死ぬまで来ないかもしれないし、やがてはそのモチーフあるいはモチベーションが枯渇して、ぱったりと作れなくなってしまうかもしれないが・・・・・・。

ちなみの2024年6月にも時鳥の句を掲載している。再度そちらもご高覧いただけると幸いである。

 

 

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時鳥

時鳥絶えたる父の身は熱く

 

息絶えて間もなかったのだろう。未明に父の体温を測り、「ああまだ熱が38度7分もある」と溜息をつき、ふと気づくと呼吸をしていなかった。前日は母の誕生日。それを待っていたかのように逝った。父の死体は早朝葬儀屋さんが来た時にもまだ温かかった。

姉にも私にも子どもがいない。だから、父のことを続く世代に伝えられない。だが、父のことを(そして母のことを)何かの形で残しておきたい。私がnoteやブログを始めた大きな動機の一つだ。

死ぬことは「冷たくなる」と表現される。私も観念的に死んだら冷たくなるものだと思っていた。温かな死体もあることを、父の死体に触れて初めて知った。

 

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