掃苔

掃苔や墓石に遺る父の文字

 

失敗したなあ……。墓参りをするたびごとに父は、刻まれた「井原家先祖代々之墓」の文字を気にしていた。

故郷の墓をいまの霊園に移すときに、新しく墓石を作り直した。墓碑銘はどうしますかと問われて、筆ペンで走り書きした文字を、石材店がそのまま墓石に彫ってしまったのだそうだ。父としては、それがそのまま彫られるとは思っていなかったらしい。だから、個々の文字のバランスが少々悪い。

「お前が儲けたら、新しい墓を作り直してくれ」と言われたが、残念ながら私もこの父の文字の刻まれた墓に入ることになりそうである。もっとも自分は死んでいるので、それを見届けることは出来ないが……。

 

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ゆく蛍天に昇るを見届けず

 

ドラマのようにはいかないものだ。NHKの連続ドラマ『ごちそうさん』のヒロインの義理の父親が夕食を食べ終えて、「ああ、おいしかったなあ……。明日はどんなおいしいもん食べられるんやろ」と言った翌朝、息を引き取っていた。そんな別れを夢見ていた。さすがにそれはないとは思っていたが、出来るなら父から最期に感謝のことばや励ましのことばを聴きたい、せめて亡くなる直前の父に感謝のことばをかけたいと思っていたが、どれも叶わなかった。未明に気づいたときには、肺炎による高熱のまま息絶えていた。おそらく喉には痰がつまっていただろう。

義兄は、父は自分の意志で逝ったのだと言う。姉や私の涙を見たくなかっただろうか。

 

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春の月

母を看る子どもを照らす春の月

 

家族の介護を担う子どもたちがいることを知ったのは、数年前だったと記憶している。しかし、そのときにはそれを深く受けとめたわけではない。ところが、父が亡くなり、母と二人暮しになり、介護の日々を俳句に詠んだりしているうちに、急にヤングケアラーと呼ばれる子どもたちに何か出来ることはないかと思い始めた。

それはおそらく、もっと……しておけば良かったという父への後悔や、母へのケアが行き届かない自分への呵責の裏返しであろう。結局は救いたいのではなく、救われたいのだろうと言われれば返すことばもない。

それでも、こころに芽生えたこの思いを、何とか具体的な行動に変えていきたい。

 

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枯草

枯草も遺品とあれば遺品なり

 

父の遺品を整理していたら、書類の入った段ボール箱に枯草が一本入っていた。はて、この草はいったいどういう経緯で、この箱にあるのだろう。紙に包まれているわけでもなく、無造作に箱に放り込まれている。というより紛れ込んだというほうが適切だろうか。何か意味があって父がこの箱に入れたとも思えないが、亡くなった人の持ち物の中にあると意味ありげに思えてくる。

父は特別何かを愛用するといった人ではなかったし、私も特に父の持ち物に思い入れのある物があるわけでもないので、遺品といっても言わば不要品として処分するだけの代物ではある。ただ、枯草一本とはいえ、これも父の遺品には違いないと妙な感慨を抱いた。

 

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秋の暮

これ以上帰る場所なき秋の暮

 

旅の楽しさ、喜びを支えているものは、帰る場所があるということではないだろうか。日頃のしがらみやなりわいから解放されて、美しい風景を見たり、おいしいものを食べたりすることは、心底楽しいことだが、ずっとその状態が続くとしたら、最終的にはこころの癒やしにはなるまい。

そう考えると、やはり帰れる場所が最もこころの休まる場所だ。しかし、母にはもはやその場所は何処にも存在しない。生まれ育った生家も、父と二人で建てた家も、いまは他人の所有するところだ。また、仮にそこに帰れたとしても、母がそこを自分の帰れる場所と認識することはないだろう。

秋の暮、帰りたいという母と途方に暮れる。

 

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時鳥

時鳥絶えたる父の身は熱く

 

息絶えて間もなかったのだろう。未明に父の体温を測り、「ああまだ熱が38度7分もある」と溜息をつき、ふと気づくと呼吸をしていなかった。前日は母の誕生日。それを待っていたかのように逝った。父の死体は早朝葬儀屋さんが来た時にもまだ温かかった。

姉にも私にも子どもがいない。だから、父のことを続く世代に伝えられない。だが、父のことを(そして母のことを)何かの形で残しておきたい。私がnoteやブログを始めた大きな動機の一つだ。

死ぬことは「冷たくなる」と表現される。私も観念的に死んだら冷たくなるものだと思っていた。温かな死体もあることを、父の死体に触れて初めて知った。

 

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竹の秋

竹の秋失語の父に問へる母

 

父のベッドの端にちょこんと母が腰掛けている。「おとちゃん、和子やで」「なんで何にも言わんのよ」「なんか言うてよ」

認知症の母には、父が圧迫骨折で入院したこと、入院で一気に認知症が進みことばも話せなくなってしまったこと、退院してから誤嚥性肺炎になって熱のあることなどは分からない。ただ、ベッドに横たわり、一言も喋らない父がいるだけだ。

竹は養分を地下の筍に送るため、春先に葉が黄ばんだ状態になる。これを「竹の秋」と呼ぶそうだ。また竹の花は100年に一度咲くと言われ、花が咲くと竹林は一斉に枯れてしまうという。人生100年と言われる時代、父は竹よりも早く84歳で枯れてしまった。

 

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台風

台風の備へいつしか父に似る

 

父はかなり慎重で周到な人であった。台風が近づいてくるとの予報があれば、物干し竿を外したり、外に出している植木鉢を家の中に入れたり、停電に備えて懐中電灯を用意したりする。冬になると屋外にある水道の蛇口に凍結防止のためのタオルを巻く。私からすれば、なにもそこまでしなくても……ということが多く、特にそれらの手伝いをさせられるときには煩わしく感じたものだ。

父の死後、台風接近の予報があったとき、ふと自分が父と似たようなことをしているのに気づいた。私の気質は父より母に似ていて、何かにつけ大雑把なのだが、その私が几帳面な父と同じようなことをするようになった。これも父の遺産と言えるだろうか。

 

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筍の季ごとに母を見舞ふ叔母

 

母は四人姉妹の次女だ。一つ上の姉も、二つか三つ下の妹ももういないので、残っているのは十三歳下の妹だけである。父には兄が一人、姉が八人いたが、末っ子の父が最後に亡くなって、姉と私にとって「おじ・おば」と呼べる人は、この叔母夫婦だけになった。

母が認知症になってから、ずっと叔母夫婦はわが家のことを気に掛けてくれて、年に二、三度訪ねてきてくれる。そのたび畑で穫れた野菜や、お手製の総菜をたくさん携えて……。

中でも私が楽しみにしているのは、叔母の作った筍の煮物で、この頃歯ごたえのある物が食べられなくなってきた母も、叔母の作った筍の煮物は普段よりよく食べる。

 

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桜餅

桜餅母ひと口に食へるかな

 

動きはスローモーだが、食べ方は腕白だ。今日はコントロールよろしく、桜餅はまっすぐに口まで運ばれた。そして丸ごと口に押し込まれた。おいおい、無茶すんな。桜餅は姿も香りも食感も楽しめる和菓子だが、おそらく今の母は、香りを感じてはいない。色も赤と桃色の違いが識別できているかどうか……。認識とことばの関係は、ことばが先のような気がする。ことばが分かってこそ、こまやかな色や手触りの違いが認識できるのではないか。したがって、赤や桃色ということばをわすれた母には、赤と桃色の違いは認識できていないのではないかと思われる。

大木あまりさんに「桜餅今日さざ波の美しく」母と私には遠い世界の物語となった。

 

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