草餅やいまは老母の頬を拭く
食べ物を口に運ぶ。当たり前だと思うこんなことが出来ない時がある。それがいまの母だ。食べ物を落とすことの多くなった母の手に半分に割った草餅を持たせる。母は餅がまだ手元にあるときから口を開ける。それから、ゆっくりと餅を口に運んでいく。しかし、餅は開いた口をそれて、頬にぶつかる。草餅のなかの餡が頬につく。頬に餡をつけた様子は、幼子のようだ。記憶にはないが幼い頃、私も母に頬を拭いてもらっていたことだろう。当たり前と思っていることも、実は学習と反復で身につけた「出来る」に違いない。
出来ないことが出来るようになり、老いてまた出来なくなる。だが、老いの出来ないはいのちを全うした証とも言えるのではないか。