時鳥

時鳥絶えたる父の身は熱く

 

息絶えて間もなかったのだろう。未明に父の体温を測り、「ああまだ熱が38度7分もある」と溜息をつき、ふと気づくと呼吸をしていなかった。前日は母の誕生日。それを待っていたかのように逝った。父の死体は早朝葬儀屋さんが来た時にもまだ温かかった。

姉にも私にも子どもがいない。だから、父のことを続く世代に伝えられない。だが、父のことを(そして母のことを)何かの形で残しておきたい。私がnoteやブログを始めた大きな動機の一つだ。

死ぬことは「冷たくなる」と表現される。私も観念的に死んだら冷たくなるものだと思っていた。温かな死体もあることを、父の死体に触れて初めて知った。

 

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父にもありけむ

母が吾を摩ってくるることもあり父にも然るときやありけむ

 

母が私をさすってくれる。母のベッドを低床ベッドに替えたので、ベッドの隣に敷いた自分の布団と母のベッドとはほぼ同じ高さになった。父がまだ生きていた頃はまだ低床ベッドではなく、夜中に母が痛がると父は自分の布団に母に来るように言って一緒に眠っていた。こうされるとトイレに行くときに母を起こすのが大変だから止めてくれと父にたびたび言ったものだが、今なら分かる。横になったままで母を摩れるから楽なのだ。

そして、父もこうして母に摩ってもらったこともあったのだろうと思った。つらいことの多かっただろう父の介護の日々にも、こんな時もあったかも知れないと思うと、少しだけ心が軽くなった。

 

 

わが家も減塩!

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