時鳥

時鳥絶えたる父の身は熱く

 

息絶えて間もなかったのだろう。未明に父の体温を測り、「ああまだ熱が38度7分もある」と溜息をつき、ふと気づくと呼吸をしていなかった。前日は母の誕生日。それを待っていたかのように逝った。父の死体は早朝葬儀屋さんが来た時にもまだ温かかった。

姉にも私にも子どもがいない。だから、父のことを続く世代に伝えられない。だが、父のことを(そして母のことを)何かの形で残しておきたい。私がnoteやブログを始めた大きな動機の一つだ。

死ぬことは「冷たくなる」と表現される。私も観念的に死んだら冷たくなるものだと思っていた。温かな死体もあることを、父の死体に触れて初めて知った。

 

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竹の秋

竹の秋失語の父に問へる母

 

父のベッドの端にちょこんと母が腰掛けている。「おとちゃん、和子やで」「なんで何にも言わんのよ」「なんか言うてよ」

認知症の母には、父が圧迫骨折で入院したこと、入院で一気に認知症が進みことばも話せなくなってしまったこと、退院してから誤嚥性肺炎になって熱のあることなどは分からない。ただ、ベッドに横たわり、一言も喋らない父がいるだけだ。

竹は養分を地下の筍に送るため、春先に葉が黄ばんだ状態になる。これを「竹の秋」と呼ぶそうだ。また竹の花は100年に一度咲くと言われ、花が咲くと竹林は一斉に枯れてしまうという。人生100年と言われる時代、父は竹よりも早く84歳で枯れてしまった。

 

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台風

台風の備へいつしか父に似る

 

父はかなり慎重で周到な人であった。台風が近づいてくるとの予報があれば、物干し竿を外したり、外に出している植木鉢を家の中に入れたり、停電に備えて懐中電灯を用意したりする。冬になると屋外にある水道の蛇口に凍結防止のためのタオルを巻く。私からすれば、なにもそこまでしなくても……ということが多く、特にそれらの手伝いをさせられるときには煩わしく感じたものだ。

父の死後、台風接近の予報があったとき、ふと自分が父と似たようなことをしているのに気づいた。私の気質は父より母に似ていて、何かにつけ大雑把なのだが、その私が几帳面な父と同じようなことをするようになった。これも父の遺産と言えるだろうか。

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中

 

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筍の季ごとに母を見舞ふ叔母

 

母は四人姉妹の次女だ。一つ上の姉も、二つか三つ下の妹ももういないので、残っているのは十三歳下の妹だけである。父には兄が一人、姉が八人いたが、末っ子の父が最後に亡くなって、姉と私にとって「おじ・おば」と呼べる人は、この叔母夫婦だけになった。

母が認知症になってから、ずっと叔母夫婦はわが家のことを気に掛けてくれて、年に二、三度訪ねてきてくれる。そのたび畑で穫れた野菜や、お手製の総菜をたくさん携えて……。

中でも私が楽しみにしているのは、叔母の作った筍の煮物で、この頃歯ごたえのある物が食べられなくなってきた母も、叔母の作った筍の煮物は普段よりよく食べる。

 

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桜餅

桜餅母ひと口に食へるかな

 

動きはスローモーだが、食べ方は腕白だ。今日はコントロールよろしく、桜餅はまっすぐに口まで運ばれた。そして丸ごと口に押し込まれた。おいおい、無茶すんな。桜餅は姿も香りも食感も楽しめる和菓子だが、おそらく今の母は、香りを感じてはいない。色も赤と桃色の違いが識別できているかどうか……。認識とことばの関係は、ことばが先のような気がする。ことばが分かってこそ、こまやかな色や手触りの違いが認識できるのではないか。したがって、赤や桃色ということばをわすれた母には、赤と桃色の違いは認識できていないのではないかと思われる。

大木あまりさんに「桜餅今日さざ波の美しく」母と私には遠い世界の物語となった。

 

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冬に入る

姉焼けるパンやはらかく冬に入る

 

姉はパン作りが趣味だ。毎週2回、パンを焼いて持ってきてくれたので、わが家では朝食のパンは長らく買うことがなかった。定番はチーズの入ったパンと金時豆の入ったパンで、ときどきオレンジピールやレモンピールの入ったパン、桜餡やずんだ餡の入ったパンを焼いてきてくれた。

ただ、1年ほど前から姉のリウマチの症状が進んできて、パン生地を捏ねるのが大変になり、パン作りも体調次第となってきている。老母を介護する姉と私も、体調万全とはいかない日が増えてきた。

焼きたてのパンは、もちろんどの季節もおいしいが、私は初冬に食べる、やわらかくほの温かいパンが好きだ。

 

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夕暮に庭掃く父や蟇の声

 

父の仕事を私が取り上げてしまった。父の負担を減らそうという考えからだったが、結果的には失敗だったと思う。料理が好きだった父が、料理をするのがうるさくなってきたと言い始めたのは、亡くなる3年程前からだったと記憶している。今まで家事全般なにもかも父に頼りすぎてきた。これからは父に代わって私が出来る限りの家事を引き受けよう……。そうして、料理も洗濯も掃除も家庭菜園も庭木の手入れもと奮闘していたある日、父が所在なげに庭を掃いていた。

父に代わっては間違いだった。代わるのではなく、支えるべきだったのだ。だが、あの当時、それが私に出来ただろうか? いまも自問自答を繰り返している。

 

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葱坊主

葱坊主病めるものみな一括り

 

認知症とのつき合いも長くなった。母があと何年生きるかは分からないが、母が死んでも認知症とのつき合いは終わるまい。そう、いずれこの病が、私のこころの扉をたたく日が来ると考えている。

多様性の時代と言われるようになったが、その反動なのか多様なものを一括りにする傾向も感じる。多様なものを多様なまま受け入れるのは大変なことだから、少しでも扱いやすくしたいという心理が働くからだろうか。

『癌』『認知症』などという病気も、一括りにして扱われすぎだと思う。もっとも、かく言う私も「認知症の母」としばしば書く。だが、実際は「母が認知症」なのであって、「認知症の母」なのではない。

 

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夢の世を母生きわれは葱作る

 

不思議だ……。なんて明瞭に喋るのだろう。一人で幻と喋っているとき、寝言を言っているときの母の声は、驚くほどしっかりしている。ところが、目覚めて私と喋ると、呂律が回らなかったり、寝ぼけたような話し方になったりすることが多い。母にとっては、私と接する時間が夢で、夢の中の時間が現実であるかのようだ。

永田耕衣に「夢の世に葱を作りて寂しさよ」パロディのつもりも、ましてや「本歌取り」のつもりもなく、ただ葱を植えていて、耕衣のこの句を思い出し、「夢の世」から母を想って詠んだ。耕衣は、母の句をたくさん詠んでいる。そのためか、雲の上の人なのに、どこか身近な人のように思えてしまう。

 

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穴惑

床擦れは耳にもありや穴惑

 

ある夜、耳が痛いと言う。脊椎間狭窄症の後遺症で腕や足の痛みを訴えることは頻繁にあるが、耳は初めてだった。翌朝見ると、左耳が赤くなって、5ミリほどジュクッとしたところがある。訪問看護師さんに尋ねると、褥瘡(じょくそう)=床擦れだとのことだった。布団と同じ幅の、肩までカバーできる大きな枕を購入して、耳だけに圧力がかからないようにし、処方してもらった薬を塗って、一ヶ月ほどで治った。それにしても床擦れが耳にもあるとは知らなかった。

秋彼岸を過ぎても穴に入らず、徘徊している蛇を穴惑という。ところで蛇には外耳と呼ばれる外に表れる耳はないそうだ。したがって、耳に床擦れができることはない。

 

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