母朧介護の父も朧めく
迂闊だったのは私だ。「そうか、幸彦は息子やったんか。これは迂闊やったなあ……」一緒に飲んでいた父が心底驚いたように言った。父も認知症になることは、想定できた。なのに、それは想定外だった。そうなってほしくないという願望が、その想定を遠ざけていたのだろう。願望もまた認知症という病気の萌芽を、看過させてしまう。
圧迫骨折での入院をきっかけに認知症が急激に進んだ父は、もうほとんどことばが発せられなくなって家に戻ってきた。その父が亡くなる一ヶ月程前にぼそっと「おまえは誇りやさけ」と言った。実際は、はっきりとは聞き取れなかった。そう聞き取ったのも、私の願望に違いない。