穴惑

床擦れは耳にもありや穴惑

 

ある夜、耳が痛いと言う。脊椎間狭窄症の後遺症で腕や足の痛みを訴えることは頻繁にあるが、耳は初めてだった。翌朝見ると、左耳が赤くなって、5ミリほどジュクッとしたところがある。訪問看護師さんに尋ねると、褥瘡(じょくそう)=床擦れだとのことだった。布団と同じ幅の、肩までカバーできる大きな枕を購入して、耳だけに圧力がかからないようにし、処方してもらった薬を塗って、一ヶ月ほどで治った。それにしても床擦れが耳にもあるとは知らなかった。

秋彼岸を過ぎても穴に入らず、徘徊している蛇を穴惑という。ところで蛇には外耳と呼ばれる外に表れる耳はないそうだ。したがって、耳に床擦れができることはない。

 

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葉桜

父退院帰路は葉桜ばかりなり

 

これを退院というのだろうか。やせ衰え、立つこともできず、ことばもほとんど発せられない。圧迫骨折の入院でまさかこんな状態になるとは思いもしなかった。入院して10日ほどは、記憶に混乱はあったもののしっかりとことばも喋り、リハビリも順調に見えた。ところが、新型コロナウィルスの流行によって面会できなくなった2週間ほどのうちに、父はすっかり変わってしまっていた。もう圧迫骨折の治療などどうでもいい。ただただ早く父を家に連れて帰りたかった。

4月末、ともかくも退院できることになって父を家に連れて帰った。帰路に目にする葉桜を見ながら、桜咲く頃にリハビリをしていた元気な父の姿を思わずにはいられなかった。

 

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何者

何者といふべきものになれぬまま かはたれのわれ たそかれのわれ

 

「かはたれ」「たそかれ」。どちらも古語で、それぞれ明け方、夕暮れの薄暗い時をさす。うす暗くて「彼は誰?」「誰そ彼?」と尋ねるところからきたことばだという。

有難いことに五十九歳になった。来年は還暦だ。同級生には、孫のいる人だっている。なのに自分はなんという体たらくだろう。妻も子もなく、誇れるべき仕事もしてこず、両親におんぶに抱っこでこの歳まできてしまった。せめて両親の恩やお世話になった方々に報いる生き方がしたいが、この先なにが出来るかも分からない。

ただ一つだけ、母だけは傍にいて見送りたいと思う。たとえ母が私のことを息子と分からなくても、何者でなくても……。

 

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ひこばえ

死してより父とは言葉ひこばゆる

 

父はことばの人であったと思う。若い頃から仕事にも家事にも本当にまめな人で、身体を動かすことを厭わない人だったが、印象に強く残っているのは、父の行為(例えば、料理だったり、日曜大工だったり)よりも、父から伝えられた家族の歴史や自身の経験談、折々に掛けられたことばのほうだ。

父が私に伝えてくれたことばは、名言でも、機知に富むことばやユーモアあふれることばでもなかった。むしろ、生活や仕事のさまざまの場面で、ふと思い出される、そんなことばだといまになって思う。

父という私にとっての大樹はもはや存在しない。しかし、その切り株からは、いまもことばが芽吹き続けている。

 

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秋日

母の便摘まんで出せる秋日かな

 

出た便の処理はまだいい。下痢便で大惨事ということもないわけではないが、出てしまえば楽になるのだから幸いとすべきである。うんこがしたい。しかし、硬くて出てこない。母が出してくれと訴える。こちらのほうがよほどしんどい。看護師さんのように摘便(肛門に指を入れて掻き出す)はうまく出来ないから、トイレに座らせてお腹を摩ったりしながら、肛門から便が頭を出すのを待つ。母を中腰に立たせて、頭を出した便を摘まんで引っ張る。硬くなった便は途中でちぎれることが多いので、これを何度も繰り返す。最後に軟らかめの便がにゅるっと出て終了。

秋の日の落ちるのは早い。西日の射していたトイレは、はや陰りはじめていた。

 

 

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母に摘む今年の苺匂ひたる

 

苺は秋に苗を植えて、翌年の春に収穫する。一度苗を買うと、そこから蔓(ランナー)が伸びて、子株をつくるので、その株をまた植え付けて翌年に収穫することが出来る。わが家の苗は、最初に植えたものからもう5代目か6代目くらいになる。菜園が狭いので、十個あまりのプランターに植え付ける。

ここ2,3年は、植え付けのたびに「来年、この苺を母は食べられるだろうか」と思う。こんなふうに思うのは、植え付けから収穫まで年を跨ぐからか、それとも「苺」という漢字の中に「母」がいるからか、いずれにしても、他の作物ではそうは思わないのに、苺のときだけそう思う。

今年も「今年の苺」がもうすぐ実る。

 

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春の星

春の星にじめる人を母とおもふ

 

努力をする母を見た記憶はない。口癖は「しんどいよ。せんよ」だった。一方で、仕事や家事のことで不満を言う母の記憶もない。もっともわが家では、家事の半分以上を父が担っていたから、母に不満があろうはずもないが……。記憶に残っているのは、何かに夢中になる母の姿ばかりだ。苺ジャムに凝るとジャムばかり食べきれないほど作る。牛乳パックをつかった椅子に凝って十も二十も作る。お陰でこちらはジャムや椅子のもらい手探しに奔走する羽目になった。

いまの母は特に何をするでもない。特に何を言うでもない。それでも、「ああ、これが母という人だなあ……」というものが、母の全体からにじみ出てくる。

 

 

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毛布

遠からぬこと思ひつつ毛布掛く

 

父や母が80歳を過ぎた頃、一緒にいられるのもせいぜいあと7、8年だろうから、共にいられる時間を慈しむように生きていこうと思った。それでも父が84歳で亡くなったとき、はげしく動揺した。あの時、ああしておけば良かったという後悔ばかりが、頭の中を駆けめぐった。認知症の母を、父と姉と私で支えようとしてきた。だが、本当に支えるべきは父だったのではないか……。

母はよく布団や毛布をはねあげる。まあ、暖房を入れっぱなしにしているので配はないけれど、隣で寝ている私の方が気になってしまう。起きて動いたり、喋ったりしているときよりも寝ているときのほうが強く、「あとどれくらい……」を意識する。

 

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野分

野分めく母より逃ぐる二メートル

 

珍しく母が怒った。機嫌の悪い日はあっても、他人に対して激しい口調になることはほとんどない。認知症になってからもそれは変わらなかった。だが、この日は私が感情的になり、母もよほど腹が立ったのだろう。「もう往ね(帰れ)!」と私に言い放った。こんな時は、触らぬ神に祟りなしとばかり母から逃げておくに限るが、この時の母はまだかろうじて立てたので、うっかり車椅子から立ち上がって転んだら大事だ。(実際、洗濯物を干している時に車椅子ごと倒れたことがあった。)何かあったらすぐに助けにいける場所にいて、母のこころの嵐が過ぎ去るのを待った。

若い頃ならこの倍は距離を取れた。いまは正直この距離でも間に合うかどうか……。

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中

 

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虹出でて老母の便も出でにけり

 

母の便が出ると、機嫌が直る。母ではなく私の。介護生活の喜・怒・哀・楽は、四分の一ずつというわけにはいかない。私の場合は喜喜・怒怒怒怒・哀哀哀・楽ぐらいだろうか。季節も時間も分からない母にはTPOはないから、こちらの事情などおかまいなしにいろいろな要求が飛んでくる。その大半が「家に帰りたい」とか「(意味不明の)してよお」とか、手が離せない時の「ちょっと来てよお」とかなので、繰り返されるとこちらも堪忍袋の緒が切れる。そんな時でも「うんこしたい」と母が言い、実際にうんこが出ると、私の機嫌は一変に直ってしまう。

その日は空に虹も出た。まさに好日。迷うことなく詠嘆の「けり」だ。

 

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