紙風船

紙風船しぼみて子なる時了る

 

母が私の名前を呼ぶことはほとんどない。息子だと認識している時間はあるようだが、名前はわすれてしまって、もう出てこないようだ。私が「幸彦です」というと、「そうや、幸彦さんや」ということはあるが、おそらく一日の大半は親切などこかの人(時に怒る怖いおいやん)と思っているのではないだろうか。ときどき「お父さん」と呼ばれる。母は父が死んだことを認識していないので、長く傍にいる人=父と認識しているのかも知れない。父と私の背格好も、頭が禿げていることも似ているからかも知れないが・・・。

母が私を父と思い、多少なりともさみしさを感じずにいられるとしたら幸いだが、やはり子どもとして頼られたいというのが本音だ。

 

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冬菫

冬菫ちよんと突いて母を看に

 

「菫程な小さき人に生れたし」(※)夏目漱石。ある解釈には、この句の「菫程な小さき人」とは、世の中のしがらみを離れ、目立たずひっそりと、しかし、たくしましく健気に生きる人とある。この解釈に触れて、私は母のことを思いうかべた。いま母は世の中のあらゆるしがらみをわすれ、小さな人になって健気にいのちをつないでいる。それ以来、すみれには他の花にない親近感を抱くようになった。

冬のすみれは、「がんばれ」と小声で励ましたくなる存在であると同時に、こちらも元気をもらえる存在である。そんな冬菫にあいさつをして、母の許へ向かう。心なしかいつもより足取りがかるい。

 

※『合本 俳句歳時記 角川書店編 第五版』より

 

 

わが家も減塩!

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風邪

三分の一ほど風邪という老母

 

母の嚏は一回では終わらない。なぜか一度くしゃみが出ると、十回近く続く。そしてその後、「風邪ひいた」と言うのが口癖だ。ただ、この日は姉が、「お母さん、風邪引いたん?」と問うと、「三分の一ほど風邪」と答えた。母は認知症には違いないのだが、たまに認知機能の衰えた人にこんなことが出来るのか、と思わせる離れ業を演じる。例えば食事の時、箸がうまく使えないとフォーク、フォークがだめならスプーン、それもだめなら手で、と段階的に手段を変えたりする。

ところで掲句、俳人ならば「風邪心地」と使うところか。月野ぽぽなさんに「半身が深海となる風邪ごこち」(※1)・鈴木牛後さんに「風邪心地わが外側に誰かゐる」(※2)

※1 2010年 角川『俳句11月号』 ※2 2016年 角川『俳句11月号』

 

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虫時雨

目を閉ぢて脈をとりをる虫時雨

 

指先に神経を集中する。母の手首の親指側を押さえて脈をとる。母の脈の乱れる時は、一定の拍動がところどころ飛んだり、強い拍動に弱い拍動が混ざったりする。普段は血圧計で測定しているが、機械が教えてくれるのは脈拍数と不整脈の有無だけなので、脈がどんな傾向かは、自分の指で測らないと分からない。傾向を知ったからといって、専門知識があるわけではないので、何が分かるというわけではない。だが、血圧計の測定値と自分の測定値が一致しない時は、機械よりは自分の感覚を信じたい気持ちが私にはある。

かすかな脈も見逃すまいと目を閉じると、いままで意識していなかった虫の音が急に耳に飛び込んできた。

 

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人の密度

わが母は朧なれどもぎゆつと人詰まりて人の密度は高し

 

ああ、これが母なのだ。認知症が進むにつれて、むしろ母という人の本質が見えてきたように感じる。ものわすれが始まり、財布や預金通帳を紛失したときでも、「わたしや財布どこぞへ失うた」とは言ったが、一度も誰かに盗られたとは言わなかった。機嫌の悪いことはあっても、相手を非難するような物言いはしない。まして叩いたり、手を払いのけたりといった乱暴な行為は一度もない。介護サービスの方々や子どもにもよく「ありがとう」と言う。

人間らしさ、それも人間の良質なところがいっぱい詰まっている、そんな感じがする。少なくとも私よりも母のほうが人としての密度は高い。

 

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手にほのと桃の匂ひやおむつ替へ

 

いま母は一人では用を足せない。「おしっこ」と言われると、目の前の作業は中止してトイレに連れていかなければならない。それが炊事の最中であれば、野菜や肉を切っていた手を洗うのもそこそこに母の車椅子をトイレまで押す。間に合う時ばかりではないから、いつも紙おむつを履いてもらっている。おむつを替えようとして、ふっと自分の手の匂いに気づくことがある。その日はちょうど桃を剝いているときだった。

匂いがした時、おむつを替えながらふっとこころが緩んで自然と笑みがこぼれた。そう言えば、桃の割れ目は人間のお尻をイメージさせる。もっともそれは、老人のそれではなく赤ん坊のあのやわらかなお尻だが。

 

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元旦

元旦も老母の背中掻いてをり

 

季節も月日も時間も母には関係ない。ただ、内なる要求のままに、食べて寝て排泄する。周囲が母のペースに合わせられるなら、認知症であっても、それなりに生きられるのかも知れない。だが、少なくとも姉や私は社会一般の暦と時計で生活している。すべてを母に合わせていたら、こちらの生活が成り立たない。私にできるのは、できる限り「遊びの時間」をもっておいて、少しでも母のペースに合わせられるようにすることだ。その母のための「遊びの時間」を、しばしば自分の時間にしてしまう私ではあるが……。

とは言え、正月から母の背中を掻けるのは幸せなことだ。能登で大地震のあった二〇二四年の新年は殊更その思いが深い。

 

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