母に摘む今年の苺匂ひたる

 

苺は秋に苗を植えて、翌年の春に収穫する。一度苗を買うと、そこから蔓(ランナー)が伸びて、子株をつくるので、その株をまた植え付けて翌年に収穫することが出来る。わが家の苗は、最初に植えたものからもう5代目か6代目くらいになる。菜園が狭いので、十個あまりのプランターに植え付ける。

ここ2,3年は、植え付けのたびに「来年、この苺を母は食べられるだろうか」と思う。こんなふうに思うのは、植え付けから収穫まで年を跨ぐからか、それとも「苺」という漢字の中に「母」がいるからか、いずれにしても、他の作物ではそうは思わないのに、苺のときだけそう思う。

今年も「今年の苺」がもうすぐ実る。

 

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春の星

春の星にじめる人を母とおもふ

 

努力をする母を見た記憶はない。口癖は「しんどいよ。せんよ」だった。一方で、仕事や家事のことで不満を言う母の記憶もない。もっともわが家では、家事の半分以上を父が担っていたから、母に不満があろうはずもないが……。記憶に残っているのは、何かに夢中になる母の姿ばかりだ。苺ジャムに凝るとジャムばかり食べきれないほど作る。牛乳パックをつかった椅子に凝って十も二十も作る。お陰でこちらはジャムや椅子のもらい手探しに奔走する羽目になった。

いまの母は特に何をするでもない。特に何を言うでもない。それでも、「ああ、これが母という人だなあ……」というものが、母の全体からにじみ出てくる。

 

 

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毛布

遠からぬこと思ひつつ毛布掛く

 

父や母が80歳を過ぎた頃、一緒にいられるのもせいぜいあと7、8年だろうから、共にいられる時間を慈しむように生きていこうと思った。それでも父が84歳で亡くなったとき、はげしく動揺した。あの時、ああしておけば良かったという後悔ばかりが、頭の中を駆けめぐった。認知症の母を、父と姉と私で支えようとしてきた。だが、本当に支えるべきは父だったのではないか……。

母はよく布団や毛布をはねあげる。まあ、暖房を入れっぱなしにしているので配はないけれど、隣で寝ている私の方が気になってしまう。起きて動いたり、喋ったりしているときよりも寝ているときのほうが強く、「あとどれくらい……」を意識する。

 

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野分

野分めく母より逃ぐる二メートル

 

珍しく母が怒った。機嫌の悪い日はあっても、他人に対して激しい口調になることはほとんどない。認知症になってからもそれは変わらなかった。だが、この日は私が感情的になり、母もよほど腹が立ったのだろう。「もう往ね(帰れ)!」と私に言い放った。こんな時は、触らぬ神に祟りなしとばかり母から逃げておくに限るが、この時の母はまだかろうじて立てたので、うっかり車椅子から立ち上がって転んだら大事だ。(実際、洗濯物を干している時に車椅子ごと倒れたことがあった。)何かあったらすぐに助けにいける場所にいて、母のこころの嵐が過ぎ去るのを待った。

若い頃ならこの倍は距離を取れた。いまは正直この距離でも間に合うかどうか……。

 

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虹出でて老母の便も出でにけり

 

母の便が出ると、機嫌が直る。母ではなく私の。介護生活の喜・怒・哀・楽は、四分の一ずつというわけにはいかない。私の場合は喜喜・怒怒怒怒・哀哀哀・楽ぐらいだろうか。季節も時間も分からない母にはTPOはないから、こちらの事情などおかまいなしにいろいろな要求が飛んでくる。その大半が「家に帰りたい」とか「(意味不明の)してよお」とか、手が離せない時の「ちょっと来てよお」とかなので、繰り返されるとこちらも堪忍袋の緒が切れる。そんな時でも「うんこしたい」と母が言い、実際にうんこが出ると、私の機嫌は一変に直ってしまう。

その日は空に虹も出た。まさに好日。迷うことなく詠嘆の「けり」だ。

 

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桃の花

菓子握りしめたる老母桃の花

 

母は糖尿病である。毎日私がインスリン注射をうつ。当然、医者からは「甘い物はほどほどに」とか「ご飯少なめ。おかず多めに」とか言われる。

とは言え、日常の楽しみのほとんどない母にとって、甘い物を食べるのは唯一とも言える楽しみである。だから、姉も私も甘い物を制限する気にはなれない。毎日おやつの時間を設ける。

菓子は、手で食べられる物が多いのがよい。箸もフォークもスプーンもうまく操れなくなった母は、食事のときはもどかしかろうと思う。菓子だけは自分の手で持てるから思うように自分の口に運べる。ま、ときどき口を逸れて頬に餡をくっつけたりするけれど……。

 

※ この作品はnote(俳句「桃の花」|@haikaigo (note.com))に先行公開しました。

 

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寒卵

寒卵老母の糧の限られて

 

いまの母は、肉と魚はほとんど食べない。うまく飲み込めないらしく、たいていは吐き出してくる。軟らかい肉や魚でも吐き出してくるので、母の皿にはほとんど盛らない。ミンチ状の肉か薄い豚バラ肉、お刺身などは食べられることもあるが、それもその日の調子しだいだ。まあ、調子の悪い日はご飯もパンも吐き出してきて喉を通るのはバナナかプリンぐらいなので、ことさら肉や魚に限ったことではないが……。

そうなってくると、母のタンパク源はもっぱら卵ということになる。ところで卵というもの安すぎはしないか。もちろん安いのは有難いことだが、生産者を思うと(そして産んでくれる鶏を思うと)ちょっとせつない。

 

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ご挨拶

ようこそ、俳介護のページへ

 

ご訪問いただき、ありがとうございます。

本サイトは、老母を介護する日々の合間につくった俳句や短歌に短文を添えたブログ調のウェブページです。

タイトルの「俳介護」は“介護の合間の俳句”が、ともすれば“俳句の合間の介護”になってしまう自分の行為を名付けた造語です。

このページをスクロールしていただいた直下のページが最新のページとなっていますが、初めての方は、2023年11月の第一回「バナナ」のページをまずお読みいただけると有り難く存じます。

なお、ページの中で綴られる出来事は、時系列にはなっていないことを申し添えておきます。

 

※noteの「喜怒哀”楽”の俳介護+」でも、短歌・詩・その他俳句を公開中です。

 

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雪女

雪女出でぬか母狂へるいま

 

とは言え雪女にも都合はあろうが、母をどう宥めても収まらない日などは、いっそ雪女でも現れてくれないか思うことがあった。いまはもう立って歩くこともないし、夜中に喋るといっても、放っておいてもいいような内容だからかまわない。だが、まだ歩ける頃、夜中に起き出して家へ帰るなどと言って聞かないときは、もう泣きたいような気持ちだった。(実際、何度も泣いた)

歳時記には、「雪女(雪女郎)」は架空の季語とあるが、こちとら架空を生きる母と暮らしているので、もし本当に現れても驚かないと思う。いや、嘘です。臆病者なので震えるに違いないが、雪女が文脈なき母にどう接するか、見てみたい気もする。

 

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素足

浮腫なき母の素足の小さきこと

 

母の足は夏でも冷たい。そして、いつもむくんでいる。心臓の機能が衰えてきているうえに、歩くこともなくなったから、血液の循環が悪いのだと思う。訪問リハビリや訪問看護の方がいつもマッサージしてくださるが、むくみのない日はほとんどなかった。

それがなぜか、昨年(令和5年)の5月ぐらいから急に足のむくみが消えた。生活の何かを変えたわけでもなく、なぜむくみがとれたのかは不明だ。取り組んできた減塩や、毎日するようになった足湯の効果だとしたら嬉しいが、徐々に減ったのではなく、急にむくみが消えて、それ以降はむくまなくなった。

こんな足だったのか。むくんだ足ばかり見てきたので、改めて母の足をみてそう思った。

 

 

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