春曙

春曙エンドレスなる母の問ひ

 

主語も目的語もない。曙に目覚めた母が、「1にしたらどうなる?」と問いかけてきた。「何を?」と尋ねたところで、母が答えないことは分かっている。なので適当に「そら、2にならよ」と答えてみた。すると、「2にしたらどうなる?」と返してきた。こうなれば続けるしかない。3・4・5・6……と続けて、10ぐらいで寝たふりをした。母はまだ一人何か喋っていたが、本当に眠ってしまったので以後は分からない。

無意味ではあるが、一応はこれもことばのキャッチボールと言えようか。近ごろ稀になった貴重な母との会話の時間とも言える。いつか「あの時せめて50まで会話しておけばよかった」と思う日が来るのかも知れない。

 

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紙風船

紙風船しぼみて子なる時了る

 

母が私の名前を呼ぶことはほとんどない。息子だと認識している時間はあるようだが、名前はわすれてしまって、もう出てこないようだ。私が「幸彦です」というと、「そうや、幸彦さんや」ということはあるが、おそらく一日の大半は親切などこかの人(時に怒る怖いおいやん)と思っているのではないだろうか。ときどき「お父さん」と呼ばれる。母は父が死んだことを認識していないので、長く傍にいる人=父と認識しているのかも知れない。父と私の背格好も、頭が禿げていることも似ているからかも知れないが・・・。

母が私を父と思い、多少なりともさみしさを感じずにいられるとしたら幸いだが、やはり子どもとして頼られたいというのが本音だ。

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中

 

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わが父は献身の人梅真白

 

父や母を詠んだ句に「わが父」「わが母」と詠んだ句はほぼない。もっともだ。「父」「母」と書けば作者の父であることは明らか。十七音しか使えない俳句において、この「わが」の二音は浪費とも言える。それでも、私の父を他人は「わが父」とは書けない。無駄遣いとは思いつつ、これはこのままあえてブログに残しておきたい。

ことばは、生きている人間だけに届けるものではない。すでに亡くなった人間、未来に生まれてくる人間に届けることばもある。この句は亡き父に届けばそれだけでいい。

中村草田男に「勇気こそ地の塩なれや梅真白」(※) 私にとって父は、勇気であり、地の塩であり、そして真っ白な梅であった。

 

※『合本 俳句歳時記 角川書店編 第五版』より

 

 

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亀鳴く

亀鳴けど聞こえぬ母の耳掃除

 

子どもの頃よく母が耳掃除をしてくれた。大きな耳垢が取れると嬉しそうに、「こんなんが取れた!」と取れた耳垢を見せた。医学的には耳掃除というのはする必要がなく、自然と耳垢は外に排出されるしくみになっているらしい。耳掃除をしてかえって外耳道を傷つけてしまうこともあると知って、自分はともかく母の耳掃除はしないでいた。ところが、ある時母の耳の穴を見ると耳垢で塞がっている。固まっていて耳かきでは取れない。ピンセットで摘まむと、見たこともないような大きな固まりが出てきた。高齢になると耳垢の排出機能が衰えるらしい。

ちなみに「亀鳴く」は、春の情緒を表わす季語で、実際には亀が鳴くことはない。

 

 

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春風

春風に母を洗ひて日に干せり

 

リアルにいのちの洗濯だ。九十歳を過ぎた母と共に暮らしていると、「いのち」や「存在」ということがより強く意識される。正直、あと十年生きるかも知れないし、明日はもう生きていないかも知れない。九十歳を超えた人間のいのちの灯火は無風でも消えてしまうようなものだと思う。とすれば、うららかな春の日、やわらかな春風の中で母を日光浴させるのは、比喩ではなく「いのちの洗濯」そのものではなかろうか。

母が「悲しい」と嘆いても、「痛い」と呻いても、なす術がないときは空しい。それでも、誰しもがこうして直に自分の親のいのちに関わっていられるわけではない。その意味では、私は恵まれている。

 

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石鹸玉

石鹸玉透けて記憶を病める母

 

『認知症』という病名に抵抗がある。では、どんな病名がよいか。一時期『記憶を病む』という表現を遣っていた。肺結核のことは、『胸を病む』と表現される。『心を病む』や『脳を病む』では他の精神疾患と紛らわしいので、『記憶を病む』ではどうかと思った。

しかし、最近はこれも違うなと思う。認知症が進んで表れる症状は、記憶力の低下にとどまらない。母には確かにさまざまな認知機能の低下が見られる。その意味では、『認知症』という病名は適切なのかも知れない。

それでも、やはり「母が認知症になった」という表現にはどこか違和感がある。侮蔑的と感じる人もいるかも知れないが、「母がボケた」というほうが、私にはしっくりする。

 

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草餅

草餅やいまは老母の頬を拭く

 

食べ物を口に運ぶ。当たり前だと思うこんなことが出来ない時がある。それがいまの母だ。食べ物を落とすことの多くなった母の手に半分に割った草餅を持たせる。母は餅がまだ手元にあるときから口を開ける。それから、ゆっくりと餅を口に運んでいく。しかし、餅は開いた口をそれて、頬にぶつかる。草餅のなかの餡が頬につく。頬に餡をつけた様子は、幼子のようだ。記憶にはないが幼い頃、私も母に頬を拭いてもらっていたことだろう。当たり前と思っていることも、実は学習と反復で身につけた「出来る」に違いない。

出来ないことが出来るようになり、老いてまた出来なくなる。だが、老いの出来ないはいのちを全うした証とも言えるのではないか。

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母朧介護の父も朧めく

 

迂闊だったのは私だ。「そうか、幸彦は息子やったんか。これは迂闊やったなあ……」一緒に飲んでいた父が心底驚いたように言った。父も認知症になることは、想定できた。なのに、それは想定外だった。そうなってほしくないという願望が、その想定を遠ざけていたのだろう。願望もまた認知症という病気の萌芽を、看過させてしまう。

圧迫骨折での入院をきっかけに認知症が急激に進んだ父は、もうほとんどことばが発せられなくなって家に戻ってきた。その父が亡くなる一ヶ月程前にぼそっと「おまえは誇りやさけ」と言った。実際は、はっきりとは聞き取れなかった。そう聞き取ったのも、私の願望に違いない。

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