桜餅

桜餅母ひと口に食へるかな

 

動きはスローモーだが、食べ方は腕白だ。今日はコントロールよろしく、桜餅はまっすぐに口まで運ばれた。そして丸ごと口に押し込まれた。おいおい、無茶すんな。桜餅は姿も香りも食感も楽しめる和菓子だが、おそらく今の母は、香りを感じてはいない。色も赤と桃色の違いが識別できているかどうか……。認識とことばの関係は、ことばが先のような気がする。ことばが分かってこそ、こまやかな色や手触りの違いが認識できるのではないか。したがって、赤や桃色ということばをわすれた母には、赤と桃色の違いは認識できていないのではないかと思われる。

大木あまりさんに「桜餅今日さざ波の美しく」母と私には遠い世界の物語となった。

 

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葱坊主

葱坊主病めるものみな一括り

 

認知症とのつき合いも長くなった。母があと何年生きるかは分からないが、母が死んでも認知症とのつき合いは終わるまい。そう、いずれこの病が、私のこころの扉をたたく日が来ると考えている。

多様性の時代と言われるようになったが、その反動なのか多様なものを一括りにする傾向も感じる。多様なものを多様なまま受け入れるのは大変なことだから、少しでも扱いやすくしたいという心理が働くからだろうか。

『癌』『認知症』などという病気も、一括りにして扱われすぎだと思う。もっとも、かく言う私も「認知症の母」としばしば書く。だが、実際は「母が認知症」なのであって、「認知症の母」なのではない。

 

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ひこばえ

死してより父とは言葉ひこばゆる

 

父はことばの人であったと思う。若い頃から仕事にも家事にも本当にまめな人で、身体を動かすことを厭わない人だったが、印象に強く残っているのは、父の行為(例えば、料理だったり、日曜大工だったり)よりも、父から伝えられた家族の歴史や自身の経験談、折々に掛けられたことばのほうだ。

父が私に伝えてくれたことばは、名言でも、機知に富むことばやユーモアあふれることばでもなかった。むしろ、生活や仕事のさまざまの場面で、ふと思い出される、そんなことばだといまになって思う。

父という私にとっての大樹はもはや存在しない。しかし、その切り株からは、いまもことばが芽吹き続けている。

 

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春の星

春の星にじめる人を母とおもふ

 

努力をする母を見た記憶はない。口癖は「しんどいよ。せんよ」だった。一方で、仕事や家事のことで不満を言う母の記憶もない。もっともわが家では、家事の半分以上を父が担っていたから、母に不満があろうはずもないが……。記憶に残っているのは、何かに夢中になる母の姿ばかりだ。苺ジャムに凝るとジャムばかり食べきれないほど作る。牛乳パックをつかった椅子に凝って十も二十も作る。お陰でこちらはジャムや椅子のもらい手探しに奔走する羽目になった。

いまの母は特に何をするでもない。特に何を言うでもない。それでも、「ああ、これが母という人だなあ……」というものが、母の全体からにじみ出てくる。

 

 

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桃の花

菓子握りしめたる老母桃の花

 

母は糖尿病である。毎日私がインスリン注射をうつ。当然、医者からは「甘い物はほどほどに」とか「ご飯少なめ。おかず多めに」とか言われる。

とは言え、日常の楽しみのほとんどない母にとって、甘い物を食べるのは唯一とも言える楽しみである。だから、姉も私も甘い物を制限する気にはなれない。毎日おやつの時間を設ける。

菓子は、手で食べられる物が多いのがよい。箸もフォークもスプーンもうまく操れなくなった母は、食事のときはもどかしかろうと思う。菓子だけは自分の手で持てるから思うように自分の口に運べる。ま、ときどき口を逸れて頬に餡をくっつけたりするけれど……。

 

※ この作品はnote(俳句「桃の花」|@haikaigo (note.com))に先行公開しました。

 

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春曙

春曙エンドレスなる母の問ひ

 

主語も目的語もない。曙に目覚めた母が、「1にしたらどうなる?」と問いかけてきた。「何を?」と尋ねたところで、母が答えないことは分かっている。なので適当に「そら、2にならよ」と答えてみた。すると、「2にしたらどうなる?」と返してきた。こうなれば続けるしかない。3・4・5・6……と続けて、10ぐらいで寝たふりをした。母はまだ一人何か喋っていたが、本当に眠ってしまったので以後は分からない。

無意味ではあるが、一応はこれもことばのキャッチボールと言えようか。近ごろ稀になった貴重な母との会話の時間とも言える。いつか「あの時せめて50まで会話しておけばよかった」と思う日が来るのかも知れない。

 

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紙風船

紙風船しぼみて子なる時了る

 

母が私の名前を呼ぶことはほとんどない。息子だと認識している時間はあるようだが、名前はわすれてしまって、もう出てこないようだ。私が「幸彦です」というと、「そうや、幸彦さんや」ということはあるが、おそらく一日の大半は親切などこかの人(時に怒る怖いおいやん)と思っているのではないだろうか。ときどき「お父さん」と呼ばれる。母は父が死んだことを認識していないので、長く傍にいる人=父と認識しているのかも知れない。父と私の背格好も、頭が禿げていることも似ているからかも知れないが・・・。

母が私を父と思い、多少なりともさみしさを感じずにいられるとしたら幸いだが、やはり子どもとして頼られたいというのが本音だ。

 

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わが父は献身の人梅真白

 

父や母を詠んだ句に「わが父」「わが母」と詠んだ句はほぼない。もっともだ。「父」「母」と書けば作者の父であることは明らか。十七音しか使えない俳句において、この「わが」の二音は浪費とも言える。それでも、私の父を他人は「わが父」とは書けない。無駄遣いとは思いつつ、これはこのままあえてブログに残しておきたい。

ことばは、生きている人間だけに届けるものではない。すでに亡くなった人間、未来に生まれてくる人間に届けることばもある。この句は亡き父に届けばそれだけでいい。

中村草田男に「勇気こそ地の塩なれや梅真白」(※) 私にとって父は、勇気であり、地の塩であり、そして真っ白な梅であった。

 

※『合本 俳句歳時記 角川書店編 第五版』より

 

 

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亀鳴く

亀鳴けど聞こえぬ母の耳掃除

 

子どもの頃よく母が耳掃除をしてくれた。大きな耳垢が取れると嬉しそうに、「こんなんが取れた!」と取れた耳垢を見せた。医学的には耳掃除というのはする必要がなく、自然と耳垢は外に排出されるしくみになっているらしい。耳掃除をしてかえって外耳道を傷つけてしまうこともあると知って、自分はともかく母の耳掃除はしないでいた。ところが、ある時母の耳の穴を見ると耳垢で塞がっている。固まっていて耳かきでは取れない。ピンセットで摘まむと、見たこともないような大きな固まりが出てきた。高齢になると耳垢の排出機能が衰えるらしい。

ちなみに「亀鳴く」は、春の情緒を表わす季語で、実際には亀が鳴くことはない。

 

 

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春風

春風に母を洗ひて日に干せり

 

リアルにいのちの洗濯だ。九十歳を過ぎた母と共に暮らしていると、「いのち」や「存在」ということがより強く意識される。正直、あと十年生きるかも知れないし、明日はもう生きていないかも知れない。九十歳を超えた人間のいのちの灯火は無風でも消えてしまうようなものだと思う。とすれば、うららかな春の日、やわらかな春風の中で母を日光浴させるのは、比喩ではなく「いのちの洗濯」そのものではなかろうか。

母が「悲しい」と嘆いても、「痛い」と呻いても、なす術がないときは空しい。それでも、誰しもがこうして直に自分の親のいのちに関わっていられるわけではない。その意味では、私は恵まれている。

 

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