花盗人

われに無き花盗人になる覚悟

 

母が外出するのは、病院の検査のときだけとなった。車椅子から車への移乗が難しくなって、姉も私もなかなか母を外出させる気持ちになれない。病院の検査のときは、車椅子ごと運んでくれる介護タクシーを利用する。車への移乗は不可能ではないが、無理をして母を怪我させるのも怖いし、私自身も腰を痛めでもすれば、介護に差し障りが出る。

それでも春になると母に桜を見せてやりたくなる。いっそどこかの桜の枝を折り取ってこようかと思ったこともある。もちろん桜ともなると、その辺の草花をちょっと摘んでくるのとは訳が違う。倫理的に許されることではないが、母のためにそれくらいの覚悟をもつ子どもではありたい。

 

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啄木忌

母の名はすべて代筆啄木忌

 

母はもう文字を書くことが出来ない。だから、書類に母の名前を書くときはいつも私が代筆する。もう何度、母の代わりに署名したことだろう。介護保険をつかうサービスは、まず契約書に始まり署名・捺印。開始時のそれは仕方ないこととしても、サービス内容が少し変わる、保険が改定される等のたびごとに署名・捺印をしなければならないのは、どうにかならないものだろうか。介護に従事する方々の手当を上げるのはもちろんだが、手間を省くこともサービスを提供する側にも提供される側にもメリットが大きいと思うのだが……。

ところで署名の代筆という行為に、なにか後ろめたさを感じるのは私だけだろうか。

 

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花の雨

納骨を終えたる友や花の雨

 

昨年の1月、友人のお父上が他界された。群馬のご実家で、認知症の奥様(友人のお母上)を介護しておられたが、倒れておられるのをお隣の方に発見されたのだそうだ。友人は東京に居を構えていて、最後に会ったのは前年の11月、出張の帰りに実家に立ち寄ったときだったという。

私のように親と同居していると、日々衰えていく親の姿を見なければならない場合があり、友人のように離れて暮らしていると、このように突然の別れがやってくるという場合があるが、どちらもせつなさに変わりはない。

3月、友人から納骨を済ませたとの知らせがあった。桜にはすこし早かったが、ふっと「花の雨」という季語が浮かんだ。

 

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春の月

母を看る子どもを照らす春の月

 

家族の介護を担う子どもたちがいることを知ったのは、数年前だったと記憶している。しかし、そのときにはそれを深く受けとめたわけではない。ところが、父が亡くなり、母と二人暮しになり、介護の日々を俳句に詠んだりしているうちに、急にヤングケアラーと呼ばれる子どもたちに何か出来ることはないかと思い始めた。

それはおそらく、もっと……しておけば良かったという父への後悔や、母へのケアが行き届かない自分への呵責の裏返しであろう。結局は救いたいのではなく、救われたいのだろうと言われれば返すことばもない。

それでも、こころに芽生えたこの思いを、何とか具体的な行動に変えていきたい。

 

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竹の秋

竹の秋失語の父に問へる母

 

父のベッドの端にちょこんと母が腰掛けている。「おとちゃん、和子やで」「なんで何にも言わんのよ」「なんか言うてよ」

認知症の母には、父が圧迫骨折で入院したこと、入院で一気に認知症が進みことばも話せなくなってしまったこと、退院してから誤嚥性肺炎になって熱のあることなどは分からない。ただ、ベッドに横たわり、一言も喋らない父がいるだけだ。

竹は養分を地下の筍に送るため、春先に葉が黄ばんだ状態になる。これを「竹の秋」と呼ぶそうだ。また竹の花は100年に一度咲くと言われ、花が咲くと竹林は一斉に枯れてしまうという。人生100年と言われる時代、父は竹よりも早く84歳で枯れてしまった。

 

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桜餅

桜餅母ひと口に食へるかな

 

動きはスローモーだが、食べ方は腕白だ。今日はコントロールよろしく、桜餅はまっすぐに口まで運ばれた。そして丸ごと口に押し込まれた。おいおい、無茶すんな。桜餅は姿も香りも食感も楽しめる和菓子だが、おそらく今の母は、香りを感じてはいない。色も赤と桃色の違いが識別できているかどうか……。認識とことばの関係は、ことばが先のような気がする。ことばが分かってこそ、こまやかな色や手触りの違いが認識できるのではないか。したがって、赤や桃色ということばをわすれた母には、赤と桃色の違いは認識できていないのではないかと思われる。

大木あまりさんに「桜餅今日さざ波の美しく」母と私には遠い世界の物語となった。

 

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葱坊主

葱坊主病めるものみな一括り

 

認知症とのつき合いも長くなった。母があと何年生きるかは分からないが、母が死んでも認知症とのつき合いは終わるまい。そう、いずれこの病が、私のこころの扉をたたく日が来ると考えている。

多様性の時代と言われるようになったが、その反動なのか多様なものを一括りにする傾向も感じる。多様なものを多様なまま受け入れるのは大変なことだから、少しでも扱いやすくしたいという心理が働くからだろうか。

『癌』『認知症』などという病気も、一括りにして扱われすぎだと思う。もっとも、かく言う私も「認知症の母」としばしば書く。だが、実際は「母が認知症」なのであって、「認知症の母」なのではない。

 

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ひこばえ

死してより父とは言葉ひこばゆる

 

父はことばの人であったと思う。若い頃から仕事にも家事にも本当にまめな人で、身体を動かすことを厭わない人だったが、印象に強く残っているのは、父の行為(例えば、料理だったり、日曜大工だったり)よりも、父から伝えられた家族の歴史や自身の経験談、折々に掛けられたことばのほうだ。

父が私に伝えてくれたことばは、名言でも、機知に富むことばやユーモアあふれることばでもなかった。むしろ、生活や仕事のさまざまの場面で、ふと思い出される、そんなことばだといまになって思う。

父という私にとっての大樹はもはや存在しない。しかし、その切り株からは、いまもことばが芽吹き続けている。

 

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春の星

春の星にじめる人を母とおもふ

 

努力をする母を見た記憶はない。口癖は「しんどいよ。せんよ」だった。一方で、仕事や家事のことで不満を言う母の記憶もない。もっともわが家では、家事の半分以上を父が担っていたから、母に不満があろうはずもないが……。記憶に残っているのは、何かに夢中になる母の姿ばかりだ。苺ジャムに凝るとジャムばかり食べきれないほど作る。牛乳パックをつかった椅子に凝って十も二十も作る。お陰でこちらはジャムや椅子のもらい手探しに奔走する羽目になった。

いまの母は特に何をするでもない。特に何を言うでもない。それでも、「ああ、これが母という人だなあ……」というものが、母の全体からにじみ出てくる。

 

 

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桃の花

菓子握りしめたる老母桃の花

 

母は糖尿病である。毎日私がインスリン注射をうつ。当然、医者からは「甘い物はほどほどに」とか「ご飯少なめ。おかず多めに」とか言われる。

とは言え、日常の楽しみのほとんどない母にとって、甘い物を食べるのは唯一とも言える楽しみである。だから、姉も私も甘い物を制限する気にはなれない。毎日おやつの時間を設ける。

菓子は、手で食べられる物が多いのがよい。箸もフォークもスプーンもうまく操れなくなった母は、食事のときはもどかしかろうと思う。菓子だけは自分の手で持てるから思うように自分の口に運べる。ま、ときどき口を逸れて頬に餡をくっつけたりするけれど……。

 

※ この作品はnote(俳句「桃の花」|@haikaigo (note.com))に先行公開しました。

 

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