木枯

木枯やこころの家をさがす母

 

「帰りたいよぉ」泣きそうな声で母が言う。「ここがお母さんの家やで」と言っても、母には理解出来ない。無理もない。娘や息子は知らない人だ。記憶の中にある父や母(私からすると祖父母)はどこにもいない。いくらここが家だと説いたところで、母にはここが自分の居場所だとはとても思えまい。

実際に母の実家であった故郷のお寺(そこは地域の檀家寺でいまは無住職となっている)に連れていったこともある。だが、「板尾の寺へ帰ってきたで」と伝えても、きょとんとしている。母が帰りたい場所は、もはや母のこころの中にしかないのだ。

「海で出て木枯帰るところなし」山口誓子。母は認知症という海で途方に暮れている。

 

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台風

台風の備へいつしか父に似る

 

父はかなり慎重で周到な人であった。台風が近づいてくるとの予報があれば、物干し竿を外したり、外に出している植木鉢を家の中に入れたり、停電に備えて懐中電灯を用意したりする。冬になると屋外にある水道の蛇口に凍結防止のためのタオルを巻く。私からすれば、なにもそこまでしなくても……ということが多く、特にそれらの手伝いをさせられるときには煩わしく感じたものだ。

父の死後、台風接近の予報があったとき、ふと自分が父と似たようなことをしているのに気づいた。私の気質は父より母に似ていて、何かにつけ大雑把なのだが、その私が几帳面な父と同じようなことをするようになった。これも父の遺産と言えるだろうか。

 

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さばが好き!

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筍の季ごとに母を見舞ふ叔母

 

母は四人姉妹の次女だ。一つ上の姉も、二つか三つ下の妹ももういないので、残っているのは十三歳下の妹だけである。父には兄が一人、姉が八人いたが、末っ子の父が最後に亡くなって、姉と私にとって「おじ・おば」と呼べる人は、この叔母夫婦だけになった。

母が認知症になってから、ずっと叔母夫婦はわが家のことを気に掛けてくれて、年に二、三度訪ねてきてくれる。そのたび畑で穫れた野菜や、お手製の総菜をたくさん携えて……。

中でも私が楽しみにしているのは、叔母の作った筍の煮物で、この頃歯ごたえのある物が食べられなくなってきた母も、叔母の作った筍の煮物は普段よりよく食べる。

 

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人のみが

人のほか老いを労る生き物を知らざるわれは人でありたし

 

どんな生き物も子どもは大切にする。では、老いたものはどうだろうか。そもそも自然界の生き物には、いわゆる老年期そのものが存在しないかも知れないが、弱肉強食の世界では、老いたものを労るゆとりはないであろう。少なくとも私は、人間以外に老いを労ることのできる生き物を知らない。

数年前にある議員が「生産性のない人たちは税金で支援する必要がない」というコラムを発表して話題となったが、生産性のなさでいえば、わが母も同じだろう。(いや、私も)

無用の人などいないが、百歩譲って世の中に無用の人がいるとして、そうした人もまた大切にできるのが人ではないだろうか。少なくとも私は、そういう人でありたい。

 

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桜餅

桜餅母ひと口に食へるかな

 

動きはスローモーだが、食べ方は腕白だ。今日はコントロールよろしく、桜餅はまっすぐに口まで運ばれた。そして丸ごと口に押し込まれた。おいおい、無茶すんな。桜餅は姿も香りも食感も楽しめる和菓子だが、おそらく今の母は、香りを感じてはいない。色も赤と桃色の違いが識別できているかどうか……。認識とことばの関係は、ことばが先のような気がする。ことばが分かってこそ、こまやかな色や手触りの違いが認識できるのではないか。したがって、赤や桃色ということばをわすれた母には、赤と桃色の違いは認識できていないのではないかと思われる。

大木あまりさんに「桜餅今日さざ波の美しく」母と私には遠い世界の物語となった。

 

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わが家も減塩!

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冬に入る

姉焼けるパンやはらかく冬に入る

 

姉はパン作りが趣味だ。毎週2回、パンを焼いて持ってきてくれたので、わが家では朝食のパンは長らく買うことがなかった。定番はチーズの入ったパンと金時豆の入ったパンで、ときどきオレンジピールやレモンピールの入ったパン、桜餡やずんだ餡の入ったパンを焼いてきてくれた。

ただ、1年ほど前から姉のリウマチの症状が進んできて、パン生地を捏ねるのが大変になり、パン作りも体調次第となってきている。老母を介護する姉と私も、体調万全とはいかない日が増えてきた。

焼きたてのパンは、もちろんどの季節もおいしいが、私は初冬に食べる、やわらかくほの温かいパンが好きだ。

 

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小鳥

るる、らるる、老母の見ゐる小鳥かな

 

「る」「らる」は受身の文語助動詞である。口語の「れる」「られる」と同様、受身以外にも可能・自発・尊敬の意味も合わせもつ。歩けなくなって、箸やスプーンも自分の手ではうまく持てなくなった老母は、着替えも食事も誰かの手を借りることなく出来ない。

こうして「介護」の日々を綴ると、自分の苦労話をひけらかすような物言いになりがちだが、実際は母のほうがずっとつらいに違いない。いまの母は、生活のすべてを受身で送らねばならないのだから……。

裏庭にやって来る小鳥が母の目にどう映っているのかは分からないが、じっと車椅子に座っているしかない母にとって、それが慰めとなってくれていることを願う。

 

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夕暮に庭掃く父や蟇の声

 

父の仕事を私が取り上げてしまった。父の負担を減らそうという考えからだったが、結果的には失敗だったと思う。料理が好きだった父が、料理をするのがうるさくなってきたと言い始めたのは、亡くなる3年程前からだったと記憶している。今まで家事全般なにもかも父に頼りすぎてきた。これからは父に代わって私が出来る限りの家事を引き受けよう……。そうして、料理も洗濯も掃除も家庭菜園も庭木の手入れもと奮闘していたある日、父が所在なげに庭を掃いていた。

父に代わっては間違いだった。代わるのではなく、支えるべきだったのだ。だが、あの当時、それが私に出来ただろうか? いまも自問自答を繰り返している。

 

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苺という字

はつなつの苺香れるわが家のくさかんむりは今も父なり

 

母が話しかけたり、呼んだりする相手は、断トツで「お父さん」「おとちゃん」である。ときどき「お母さん」と言うこともあるので、この「お父さん」が私の父(つまり母の夫)ではなく、祖父のこともあるのかも知れないが、状況から考えると、ほとんどは父のことではないかと思われる。どこかが痛むとき、目覚めて近くに誰もいないとき、ふとしたとき、母は父を呼ぶ。そのたび今も、父が母を守り支えているのだと感じる。

「苺」という漢字は、母という字を「くさかんむり」が覆っている。まるで、くさかんむりが母を守っているかのようだ。わが家で母を守るくさかんむりは、姉や私ではなく間違いなく亡き父である。

 

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葱坊主

葱坊主病めるものみな一括り

 

認知症とのつき合いも長くなった。母があと何年生きるかは分からないが、母が死んでも認知症とのつき合いは終わるまい。そう、いずれこの病が、私のこころの扉をたたく日が来ると考えている。

多様性の時代と言われるようになったが、その反動なのか多様なものを一括りにする傾向も感じる。多様なものを多様なまま受け入れるのは大変なことだから、少しでも扱いやすくしたいという心理が働くからだろうか。

『癌』『認知症』などという病気も、一括りにして扱われすぎだと思う。もっとも、かく言う私も「認知症の母」としばしば書く。だが、実際は「母が認知症」なのであって、「認知症の母」なのではない。

 

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