ゆく蛍天に昇るを見届けず

 

ドラマのようにはいかないものだ。NHKの連続ドラマ『ごちそうさん』のヒロインの義理の父親が夕食を食べ終えて、「ああ、おいしかったなあ……。明日はどんなおいしいもん食べられるんやろ」と言った翌朝、息を引き取っていた。そんな別れを夢見ていた。さすがにそれはないとは思っていたが、出来るなら父から最期に感謝のことばや励ましのことばを聴きたい、せめて亡くなる直前の父に感謝のことばをかけたいと思っていたが、どれも叶わなかった。未明に気づいたときには、肺炎による高熱のまま息絶えていた。おそらく喉には痰がつまっていただろう。

義兄は、父は自分の意志で逝ったのだと言う。姉や私の涙を見たくなかっただろうか。

 

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ミニトマト

ミニトマト母のいのちの糧となれと赤く熟るるを三つ四つ捥げる

 

母の食べられるものが少なくなってきた。肉や魚は調子のよいときは食べられるが、たいていは飲み込めず吐き出してくる。野菜はいも類とたまねぎはよく食べてくれるが、にんじん・大根などの根菜類はときどき、葉物野菜やきゅうり・ピーマンなどはほとんど吐き出してくる。葉物野菜やきゅうりが食べられないので、生野菜はほとんど母に出せなくなった。そんな中、唯一母がよく食べる生野菜がトマトだ。もっとも皮は吐き出してくるので、皮を剝く。

家庭菜園では、作りやすくて、皮も剝きやすい中玉と呼ばれる直径3センチくらいのミニトマトを作っている。今年は豊作だ。

 

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わが家も減塩!

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春の月

母を看る子どもを照らす春の月

 

家族の介護を担う子どもたちがいることを知ったのは、数年前だったと記憶している。しかし、そのときにはそれを深く受けとめたわけではない。ところが、父が亡くなり、母と二人暮しになり、介護の日々を俳句に詠んだりしているうちに、急にヤングケアラーと呼ばれる子どもたちに何か出来ることはないかと思い始めた。

それはおそらく、もっと……しておけば良かったという父への後悔や、母へのケアが行き届かない自分への呵責の裏返しであろう。結局は救いたいのではなく、救われたいのだろうと言われれば返すことばもない。

それでも、こころに芽生えたこの思いを、何とか具体的な行動に変えていきたい。

 

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枯草

枯草も遺品とあれば遺品なり

 

父の遺品を整理していたら、書類の入った段ボール箱に枯草が一本入っていた。はて、この草はいったいどういう経緯で、この箱にあるのだろう。紙に包まれているわけでもなく、無造作に箱に放り込まれている。というより紛れ込んだというほうが適切だろうか。何か意味があって父がこの箱に入れたとも思えないが、亡くなった人の持ち物の中にあると意味ありげに思えてくる。

父は特別何かを愛用するといった人ではなかったし、私も特に父の持ち物に思い入れのある物があるわけでもないので、遺品といっても言わば不要品として処分するだけの代物ではある。ただ、枯草一本とはいえ、これも父の遺品には違いないと妙な感慨を抱いた。

 

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秋の暮

これ以上帰る場所なき秋の暮

 

旅の楽しさ、喜びを支えているものは、帰る場所があるということではないだろうか。日頃のしがらみやなりわいから解放されて、美しい風景を見たり、おいしいものを食べたりすることは、心底楽しいことだが、ずっとその状態が続くとしたら、最終的にはこころの癒やしにはなるまい。

そう考えると、やはり帰れる場所が最もこころの休まる場所だ。しかし、母にはもはやその場所は何処にも存在しない。生まれ育った生家も、父と二人で建てた家も、いまは他人の所有するところだ。また、仮にそこに帰れたとしても、母がそこを自分の帰れる場所と認識することはないだろう。

秋の暮、帰りたいという母と途方に暮れる。

 

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さばが好き!

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時鳥

時鳥絶えたる父の身は熱く

 

息絶えて間もなかったのだろう。未明に父の体温を測り、「ああまだ熱が38度7分もある」と溜息をつき、ふと気づくと呼吸をしていなかった。前日は母の誕生日。それを待っていたかのように逝った。父の死体は早朝葬儀屋さんが来た時にもまだ温かかった。

姉にも私にも子どもがいない。だから、父のことを続く世代に伝えられない。だが、父のことを(そして母のことを)何かの形で残しておきたい。私がnoteやブログを始めた大きな動機の一つだ。

死ぬことは「冷たくなる」と表現される。私も観念的に死んだら冷たくなるものだと思っていた。温かな死体もあることを、父の死体に触れて初めて知った。

 

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6月8日

池田小事件の日ごと歳一つとりたる母ととらぬ子ども等

 

あの日、70歳になった母は、あれから23年生きて、93歳になった。あの日以来、母が誕生日を迎えるごとに、共に日々を過ごせるよろこびを思う一方で、いつも大阪教育大附属小学校児童殺傷事件のことが胸をよぎる。小学校の教員をしていた母の誕生日に、母が教えることの多かった1年生・2年生の子どもたちが、こともあろうに学校で殺傷されてしまったという巡り合わせは偶然だとしても、その偶然によってこの事件はいっそうせつないものとして私の胸に刻まれた。

世界は不条理に満ちているとはいえ、生あるものは必ず死ぬという条理が、あのような形で小さな子どもたちに降りかかったことを思うとき、この世界を呪いたくなる。

 

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天寿

わが母をフジコヘミングさんと比し何か変はらん宿命生くるに

 

なんと不遜なことを言う奴だと思われるかも知れないが、私の母もおそらく天才なのである。「おそらく」と書いたのは、天才を知るのは天才のみであって、天才でない私にはそう断ずることが出来ないからだ。ただ、才能の有無を比べているのではない。フジコさんも母も、人として与えられた運命を全うした(しようとしている)点において変わりはなかろう。

フジコさんと母は同じ1931年生まれだ。12月生まれのフジコさんは今年の4月21日に92歳で旅立たれ、母はあと2日、6月8日を迎えると93歳になる。

音楽にはまったく造詣のない私だが、母と同年生まれの音楽家の死を悼みたい。合掌。

 

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枕元すこし上げたる介護ベツドを老母眠れば平にもどす

 

土曜の夜に来てくださるヘルパーさんは、母の清拭や足湯、パジャマへの着替えを済ませた後、介護ベッドに母を寝かすと、枕元をすこし上げておいてくださる。こうすると、スムーズに睡眠に入れるとの配慮からだろう。

昨今は睡眠を感知して、上げておいた背もたれを自動で元に戻すという優れもののベッドもあるようだが、わが家の介護ベッドはそこまでハイテクではないから、母が眠りについたあとは、私が手動で枕元を下げる。

なお、この作品は「第25回NHK全国短歌大会」の題「平」から想を得たもので、試しに応募もしてみたら、吉川宏志さんが佳作に選んでくださった。Web以外の形で軌跡がひとつ残せたことはうれしい。

 

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竹の秋

竹の秋失語の父に問へる母

 

父のベッドの端にちょこんと母が腰掛けている。「おとちゃん、和子やで」「なんで何にも言わんのよ」「なんか言うてよ」

認知症の母には、父が圧迫骨折で入院したこと、入院で一気に認知症が進みことばも話せなくなってしまったこと、退院してから誤嚥性肺炎になって熱のあることなどは分からない。ただ、ベッドに横たわり、一言も喋らない父がいるだけだ。

竹は養分を地下の筍に送るため、春先に葉が黄ばんだ状態になる。これを「竹の秋」と呼ぶそうだ。また竹の花は100年に一度咲くと言われ、花が咲くと竹林は一斉に枯れてしまうという。人生100年と言われる時代、父は竹よりも早く84歳で枯れてしまった。

 

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