菜の花

菜の花や母不治なれば明るき家

 

実はこの句は母を詠んだものではない。水田の中の一角に鮮やかな菜の花畑を見つけたとき、その明るさの中にふっと陰のようなものを感じた。そこからある物語が浮かんだ。

それは母親が不治の病で余命宣告を受けた家族が、残された母親との時間を慈しもうとしている姿である。残された時間は限られている。だからこそ、出来る限り明るく楽しく母との時間を過ごしたい。

そんな想像で詠んだ句ではあるが、母が認知症と診断されてからのわが家と重なる部分もある。認知症はいまのところ治らない病気である。だから、そのことを嘆いても仕方がない。母が認知症であっても、楽しめることを模索しながら共に暮らしていこうと家族一丸となって頑張ってきた。わが家もまた「明るき家」であった。

※ この作品は第26回NHK全国俳句大会入選作品集に掲載されています。

 

<広告>

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

菜の花」への2件のフィードバック

  1. 十郎 says:

    私の父も母も、
    他界してしまったが、

    健康で、
    生きてたら相談したいこととか聞いてもらいたい話がいっぱいあった。

    不安で不安でしょうがない時、
    誰かを頼りたくなることが今でもある。

    もちろん、そんな相手はもういないわけだが、

    この世で、
    自分のことを本気で心配してくれる人は、もう誰もいないのではないかと不安になる時がある。

    1. @haikaigo says:

      コメントありがとうございます。私も不安で仕方でありませんが、一方で亡き父や亡き母に守られていると感じる出来事が近頃しばしばあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA