朧夜

朧夜の母には淡きものばかり

 

亡くなる前の1年から2年、母には、この世界がどう見えていたのだろう。姉や私のことを誰だと思っていたのだろう。テレビを観ても反応しなくなっていたから、いろいろな物が認識できなくなっていたに違いない。

もっともそれも日によってかなり落差があって、たまには姉やわたしのことを認識している日もあっただろうし、いろいろな物が比較的よく認識できていた日もあっただろうが、反対にほとんどの物が認識できていない日もあったのではないかと思う。

そんな日の母にとって、世界はまるで朧のようだったのではないかと想像する。そのとき母にとっては、世界ばかりか自分の存在さえ淡く感じられていたのかもしれない。

 

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日脚伸ぶ

千金の老母の数歩日脚伸ぶ

 

亡くなる前の一年ほどは、訪問リハビリに来てもらっても、車椅子やベッドから立ち上がる訓練をするのがやっとで、母が歩くことはほとんどなかった。母自身、歩く気力を無くしていたのか、理学療法士さんがちょっと歩いてみましょうと言っても、「せん!」などとにべなく断ることもたびたび。立ち上がることさえしたがらず、ただ腕や足のマッサージをしてもらうだけでリハビリを終えるということも少なくなかった。

ただ、ごくごく稀に母が歩こうという意志を示して、理学療法士さんに支えてもらいながら、手摺りをもって廊下を数歩だけ歩く日があった。わずか数歩のことだが、姉や私にとっては、母が歩いた、そのことがもうこの上なく貴重なことに思えたものだ。

 

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蓼の花

子に尻を拭かるる母や蓼の花

 

母が亡くなる前の2,3ヶ月はほぼ毎日のように母の便の処理をしていた。昼近くまでベッドで眠って、夜まで車椅子に座ったまま、週二回のリハビリ以外運動らしい運動もしないから便秘にならないか心配していたが、幸い毎日すこしずつ便が出て便秘で苦しむことがなかったのは良かった。

この頃の母に、どれだけわたしのことが分かっていたのか、また自分のおかれている状況が分かっていたのかは不明だが、毎日子どもに尻を拭かれるのはどんな気持ちだろうとふと思ったことがある。

因みにタデ科には「ママコノシリヌグイ」という草がある。棘だらけの茎や葉から憎い継子の尻をこの草で拭くという想像から命名されたそうだが、季語の蓼の花の傍題にもこの語がある。

 

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ところてん

ところてん母転んでも笑へた頃

 

いまnoteというweb媒体で、『私の 母の 物語』という小説を連載している。10年ほど前に書いたもので、母に認知症の症状が出始めてから、脊椎管狭窄症になって手術をし、退院後家族旅行に行ったときまでのことをベースに書いたものだが、毎日文章をアップしながら、さまざまの病気に苦しんだ母の人生の最晩年の20年を思うと、長生きが果たして幸せだったのだろうかと、そればかりを考えてしまう。

まだ母が元気で、ワックスをかけて間もない床でつるんと転んで「ははは、こけてしもた…」と笑っていた頃と、母が転ぶことの心配ばかりしていた頃、母が車椅子生活になって転ぶ心配のなくなった頃を重ね合わせ、言いようの感慨にふけっている。

 

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おもかげ

おもかげをわするることが二度目の死われ在るかぎり父母を詠む

 

母が生きていたときは、俳句や短歌を詠むことが本当に楽しかった。内容的にはつらいものであっても、それが形になるとつらさと裏腹のよろこびがあった。

だが、いまは、俳句や短歌を詠むことが苦しい。母が亡くなって、もうすぐ半年になろうとしているのに、哀しみが癒えるどころか、死んで5年になろうとする父のことまで思い出してしんみりする始末である。

それでも、たとえ月に一句、一首でも、三ヵ月に一句、一首でも父や母のことを詠みつづけていきたい。いのちとしては存在しなくても、父や母の存在が完全に消えたわけではない。わたしが生きて、父母を詠むかぎり・・・・・・。

 

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