虫時雨

目を閉ぢて脈をとりをる虫時雨

 

指先に神経を集中する。母の手首の親指側を押さえて脈をとる。母の脈の乱れる時は、一定の拍動がところどころ飛んだり、強い拍動に弱い拍動が混ざったりする。普段は血圧計で測定しているが、機械が教えてくれるのは脈拍数と不整脈の有無だけなので、脈がどんな傾向かは、自分の指で測らないと分からない。傾向を知ったからといって、専門知識があるわけではないので、何が分かるというわけではない。だが、血圧計の測定値と自分の測定値が一致しない時は、機械よりは自分の感覚を信じたい気持ちが私にはある。

かすかな脈も見逃すまいと目を閉じると、いままで意識していなかった虫の音が急に耳に飛び込んできた。

 

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胡瓜

臍曲げて厨に寝たるきうりかな

 

もちろん臍を曲げているのはきゅうりではない。だが、母の機嫌を損ねてしまい、食事の用意をしても「食べん!」と撥ねつけられてしまった時などは、思わずキッチンのきゅうりに「きゅうりよ、お前もか!」とでも言いたくなる。まったく……。ふて寝をしたいのはこっちだ。

もっとも介護生活の中で、こちらの経験値もあがってくるから、こういう場合の対応の仕方も引出しが増えてきた。少し間を置いて、何事もなかったかのように話しかける。母の好きな甘い物で釣る。母を放っておいて、さっさと自分だけ先に食べてしまう。

ちなみに裏庭の家庭菜園で作るきゅうりは養分が少ないと曲がりやすいように思う。

 

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人の密度

わが母は朧なれどもぎゆつと人詰まりて人の密度は高し

 

ああ、これが母なのだ。認知症が進むにつれて、むしろ母という人の本質が見えてきたように感じる。ものわすれが始まり、財布や預金通帳を紛失したときでも、「わたしや財布どこぞへ失うた」とは言ったが、一度も誰かに盗られたとは言わなかった。機嫌の悪いことはあっても、相手を非難するような物言いはしない。まして叩いたり、手を払いのけたりといった乱暴な行為は一度もない。介護サービスの方々や子どもにもよく「ありがとう」と言う。

人間らしさ、それも人間の良質なところがいっぱい詰まっている、そんな感じがする。少なくとも私よりも母のほうが人としての密度は高い。

 

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亀鳴く

亀鳴けど聞こえぬ母の耳掃除

 

子どもの頃よく母が耳掃除をしてくれた。大きな耳垢が取れると嬉しそうに、「こんなんが取れた!」と取れた耳垢を見せた。医学的には耳掃除というのはする必要がなく、自然と耳垢は外に排出されるしくみになっているらしい。耳掃除をしてかえって外耳道を傷つけてしまうこともあると知って、自分はともかく母の耳掃除はしないでいた。ところが、ある時母の耳の穴を見ると耳垢で塞がっている。固まっていて耳かきでは取れない。ピンセットで摘まむと、見たこともないような大きな固まりが出てきた。高齢になると耳垢の排出機能が衰えるらしい。

ちなみに「亀鳴く」は、春の情緒を表わす季語で、実際には亀が鳴くことはない。

 

 

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冷たし

こは左そは右と着す手が冷た

 

袖の中でつかまえた母の手は冷たかった。朝、体温と血圧・脈を測り、おむつを替え、清拭をして着替えをするのだが、母がうまく袖に手を通せない時がある。そんな時は、袖口のほうから自分の手を通して母の手を迎えにいく。ヘルパーさんや看護師さんから教えていただいたやり方だ。母は左右を間違えることも多くなった。右手を出すように言うと左手を出し、左手を出すように言うと右手を出す。そこで「これは左手」「それは右手」と言いながら服を着せることになる。

波多野爽波の句に「手が冷た頬に当てれば頬冷た」。(※)「冷たい」と言いながら、温かいものが伝わってくる。ことばを尽くしてもなかなかこうはいかないだろう。俳句だ。

※『合本 俳句歳時記 角川書店編 第五版』より

 

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手にほのと桃の匂ひやおむつ替へ

 

いま母は一人では用を足せない。「おしっこ」と言われると、目の前の作業は中止してトイレに連れていかなければならない。それが炊事の最中であれば、野菜や肉を切っていた手を洗うのもそこそこに母の車椅子をトイレまで押す。間に合う時ばかりではないから、いつも紙おむつを履いてもらっている。おむつを替えようとして、ふっと自分の手の匂いに気づくことがある。その日はちょうど桃を剝いているときだった。

匂いがした時、おむつを替えながらふっとこころが緩んで自然と笑みがこぼれた。そう言えば、桃の割れ目は人間のお尻をイメージさせる。もっともそれは、老人のそれではなく赤ん坊のあのやわらかなお尻だが。

 

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汗かかぬ老いを介護の玉の汗

 

母はほとんど汗をかかなくなった。狭心症や不整脈といった心臓病を抱えているので、なるべく部屋の温度を一定に保っていることもあるが、やはり高齢になって体温調節ができていないのだと思われる。夏に冷房のないトイレに連れていっても、本人は涼しい顔をしている。だが、介助する姉や私はそのたび汗だくだ。

もっとも、喉の乾きも感じず自分では水分補給しようとしないので、汗をかかないといっても脱水症状や熱中症になる可能性はある。冷房の中にいるとはいえ、夏は注意が必要だし、秋や冬とて油断は出来ない。

室温22度を目安にしているわが家では、季節を問わず姉や私はときどき玉の汗を流す。

 

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春風

春風に母を洗ひて日に干せり

 

リアルにいのちの洗濯だ。九十歳を過ぎた母と共に暮らしていると、「いのち」や「存在」ということがより強く意識される。正直、あと十年生きるかも知れないし、明日はもう生きていないかも知れない。九十歳を超えた人間のいのちの灯火は無風でも消えてしまうようなものだと思う。とすれば、うららかな春の日、やわらかな春風の中で母を日光浴させるのは、比喩ではなく「いのちの洗濯」そのものではなかろうか。

母が「悲しい」と嘆いても、「痛い」と呻いても、なす術がないときは空しい。それでも、誰しもがこうして直に自分の親のいのちに関わっていられるわけではない。その意味では、私は恵まれている。

 

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元旦

元旦も老母の背中掻いてをり

 

季節も月日も時間も母には関係ない。ただ、内なる要求のままに、食べて寝て排泄する。周囲が母のペースに合わせられるなら、認知症であっても、それなりに生きられるのかも知れない。だが、少なくとも姉や私は社会一般の暦と時計で生活している。すべてを母に合わせていたら、こちらの生活が成り立たない。私にできるのは、できる限り「遊びの時間」をもっておいて、少しでも母のペースに合わせられるようにすることだ。その母のための「遊びの時間」を、しばしば自分の時間にしてしまう私ではあるが……。

とは言え、正月から母の背中を掻けるのは幸せなことだ。能登で大地震のあった二〇二四年の新年は殊更その思いが深い。

 

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初秋

初秋や母のいのちの坂いくつ

 

九月を過ぎるとほっとする。五年前の九月、母が徐脈で入院した。そのまま危篤状態となり、一晩意識がなかったが、幸いにも翌朝意識が戻り、二週間程で退院した。翌年の一月末また徐脈で入院。体調が落ち着いてきたと思っていた九月、またもや徐脈となって入院した。その翌年は転倒して骨折し、八月末から入院した。結局三年連続で母は九月を病院で過ごしたことになる。そんなわけで私には、一年のうちで九月が、母にとって最もきつい坂と意識されるようになった。

いのちの坂にも上り下り。母はもう何十年も、坂を下り、しばらく平地を歩いて、また坂を下るということを繰り返してきた。できれば最期はゆるやかな坂を下らせてあげたい。

 

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