一葉落つ仏のやうに母笑めば
微笑んだ母の顔がとてもやさしいときがあって、そんなとき私は、なぜか母の死が近いような気がして心配したものだった。
実際、それは杞憂に過ぎず、1年に何度か仏様のような微笑みを浮かべながらも、母は何年も生きてくれた。
認知症になってからの二十年近い暮らしのなかで、死にたいと口にしたこともあった母だったが、亡くなる2,3年前にはもう「~したい」というような意志や欲をことばにすることはなくなって、生かされるままに淡々と生きていたように思う。その意味では、母はもう仏になりかかっていたのかも知れない。
そして終に母はほんとうの仏様になるべくこの世を旅立った。お母さん、私を見守ってください。
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