痛してふ母のさびしさ撫づる秋
母の「痛い」にはどうも三つある。本当に腕や足などが痛むときの痛い。何かが身体に触れたときの違和感や恐怖を表わす痛い。そして、自分の傍に誰か来てほしいときの痛い。
三つ目の「痛い」には私の反省もある。母は傍に誰かいないときに「ここへ来てよぉ」と言うことがある。ただ、料理を作っていて火のそばを離れられないときなど、「ちょっと待って」と言わざるを得ない。しかし、母には私のその状況が理解出来ないから、立て続けに「来てよぉ」を繰り返す。そのうちに私のほうが癇癪を起こして怒るということが何回かあったのだ。
三つ目の「痛いよ」は、人を呼ぶための母の知恵ではないかと私は考えている。
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