紙風船しぼみて子なる時了る
母が私の名前を呼ぶことはほとんどない。息子だと認識している時間はあるようだが、名前はわすれてしまって、もう出てこないようだ。私が「幸彦です」というと、「そうや、幸彦さんや」ということはあるが、おそらく一日の大半は親切などこかの人(時に怒る怖いおいやん)と思っているのではないだろうか。ときどき「お父さん」と呼ばれる。母は父が死んだことを認識していないので、長く傍にいる人=父と認識しているのかも知れない。父と私の背格好も、頭が禿げていることも似ているからかも知れないが・・・。
母が私を父と思い、多少なりともさみしさを感じずにいられるとしたら幸いだが、やはり子どもとして頼られたいというのが本音だ。