はじめての母なき春や星潤む

 

季節はめぐるもので、今年還暦となった私は、もう春夏秋冬を何十回となく春をむかえてきたけれど、母のいない春をむかえるのは今年はじめてだった。

生きていたとしても、大腿骨の骨折をしてからの母は車椅子生活だったし、認知症もすすんで何かに感動することもなくなっていたから、桜を見に連れ出すこともなかっただろうが、それでも春というこころ弾みのある季節を母と一緒にむかえられないのはさみしかった。

右城暮石に「妻の遺品ならざるはなし春星も」

夜空を見上げて、ふとこの句を思い出し、私にとって春の星は、母の遺品か、それとも母そのものか、そんなことを考えた。

 

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石鹸玉

石鹸玉透けて記憶を病める母

 

『認知症』という病名に抵抗がある。では、どんな病名がよいか。一時期『記憶を病む』という表現を遣っていた。肺結核のことは、『胸を病む』と表現される。『心を病む』や『脳を病む』では他の精神疾患と紛らわしいので、『記憶を病む』ではどうかと思った。

しかし、最近はこれも違うなと思う。認知症が進んで表れる症状は、記憶力の低下にとどまらない。母には確かにさまざまな認知機能の低下が見られる。その意味では、『認知症』という病名は適切なのかも知れない。

それでも、やはり「母が認知症になった」という表現にはどこか違和感がある。侮蔑的と感じる人もいるかも知れないが、「母がボケた」というほうが、私にはしっくりする。

 

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