布団

寝息なくも布団かすかに上下せり

 

父が亡くなってから、母が亡くなるまでずっと母の隣で眠った。夜中に腕や足が痛いと言って何度も起こされたり、ずっと話しかけられたりして眠らせてもらえないのはつらかったが、逆に寝息も聞こえぬほど深く眠っていると、もしや息が止まったのではないかと心配になることもあった。

訪問看護師さんから呼吸をしているときは胸がわずかに上下すると聞いて、隣に眠っている母をじっと見ると、布団がかすかに上下している。「ああ、生きている・・・」とほっとして眠るということが何度かあった。

一方、母の死から通夜の日まで二晩母の亡骸の隣で眠ったが、ふっと「ぐー」と鼾のような音がした気がして母の亡骸をまじまじと見たが、当り前だが胸は上下しておらず、「やっぱり死んでいる」とがっかりした。

 

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秋風

秋風を見てをり眠る母に添ひ

 

認知症になった母を、父と姉と三人で支えながら生活していた。だが、母より先に父が亡くなってしまい、その後に義兄が転勤となり和歌山から離れることになった。

もう母の在宅介護は無理かと思ったが、義兄が単身赴任をしてくれたので、引き続き姉の助けを得ながら母の在宅介護をすることができた。

ただ、せめて義兄が赴任先から帰ってくる土日や祝日は姉も自宅で義兄にくつろいでもらいたいのとのことで、日曜、祝日は私が母と二人で過ごすことになった。

母と二人きりで過ごす休日はどこにも出かけられない。とにかく母の傍で退屈しているしかない。この日は母のベッドの傍で庭木を揺らす風を見ていた。

 

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梅雨寒

梅雨寒や父の忌に飲む燗の酒

 

亡くなった父は酒が好きで、中でも日本酒が一番好きだった。亡くなった2020年の6月9日は2024年に亡くなった母の誕生日の翌日であった。亡くなる前日、もうことばは発せられず、口からは何も摂れなくなって点滴を打っている状態だったが、母の誕生日だから一緒に酒を飲もうと父の唇にスポンジで酒を塗ると、その目がすこし笑っているように見えた。

その後は命日になるたび杯を二つ用意して、父と一緒に杯を傾けるつもりで酒を飲む。6月なら私は冷酒のほうがいいのだが、父は燗酒のほうが好きだったからせめて命日くらいは父の好みに合わせて今年も熱燗を飲む。

 

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朧夜

朧夜や見えざる人と話す母

 

母はときどきそこに存在しない人と会話していた。認知症だと解っていても、最初は正直気味が悪かった。しかし、そのうちに慣れてしまった。幻との会話だけでなくて、一晩中独り言を言っていることもあれば、一時間ほど延々と数を数えていることもあれば、話しかけてくるものの言いたいことが解らないこともある。さらには、「きいしいはあ、もはあよお」などともはや単語にもなっていない音声を発するといったことまで経験すれば、もう少々のことには驚かない。

亡くなる一、二年前は私と話しているときより幻と話しているほうがよほど文脈がしっかりしていると感じること日もあった。

その幻との会話が楽しそうなときは、ちょっぴりさびしかった。

 

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葱食ひぬ亡き母に似て喉弱く

 

私と母は血液型が同じO型で、体質もよく似ている。特に風邪を引くときは毎回鼻からではなく、喉の痛みから兆候が出始めるところは本当によく似ていた。

私は子どもの頃も大人になってからも比較的よく風邪を引いたが、父が亡くなってからの四年余りまったく風邪を引かなかった。新型コロナの流行でいつもマスクをしていたことや、手洗い・うがいを入念にするようになったからだと思うが、母に風邪を移してはいけないと、気が張っていたことも関係しているかもしれない。

母が亡くなって一年と四か月、この冬はちょっと喉の調子があやしい。予防のためネギを食べようとスーパーで葱を買った帰り、そういえば母も喉が弱かったことを思い出した。

 

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汗だくの介助も母の尿ちよろり

 

「おしっこがしたい」と言われてトイレに連れていくのだが、いざトイレに行くと尿が出ないということが母にはよくあった。そこでベッドに戻ってしばらくすると、また「おしっこがしたい」と言う。それでまたトイレに連れていくのだが、足が萎えてからはその度ベッドから車椅子に移乗して、またトイレで車椅子から便器に移さないといけないから、夏などはそれだけで汗だくになってしまう。

そうやってトイレに連れていって、「ちょろり」っと音がしてそれで終わりだと、「こっちの流した汗の量と変わらんやないか」と思ったものだ。

しかし、いま思うと介護というのは、その「ちょろり」のために汗を流す行為なのかもしれない。

 

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はじめての母なき春や星潤む

 

季節はめぐるもので、今年還暦となった私は、もう春夏秋冬を何十回となく春をむかえてきたけれど、母のいない春をむかえるのは今年はじめてだった。

生きていたとしても、大腿骨の骨折をしてからの母は車椅子生活だったし、認知症もすすんで何かに感動することもなくなっていたから、桜を見に連れ出すこともなかっただろうが、それでも春というこころ弾みのある季節を母と一緒にむかえられないのはさみしかった。

右城暮石に「妻の遺品ならざるはなし春星も」

夜空を見上げて、ふとこの句を思い出し、私にとって春の星は、母の遺品か、それとも母そのものか、そんなことを考えた。

 

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震災忌

ただ独り逃ぐる身となり震災忌

 

つい最近も青森県で大きな地震があった。戦争や災害の報道に接するたび、ああきっと戦地にも被災地にも、肉親の介護をしている人がいるに違いない。危険が迫っても逃げるに逃げらず、途方に暮れているのではないかなどと考える。私自身も母が生きていた頃は、自分たちも被災したらどうしたものだろう。とても母を連れて避難所には行けそうもない・・・などと考えを巡らしたものだ。

母が死んでしまったいまは、そんな思案を巡らす必要もなくなった。わが身ひとつ、とにかく安全な場所に逃れることだけ考えればよい。こころが軽いと言えば軽いが、やはり一方ではさみしくもある。

 

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薄暑

老母にも汗かかせたき薄暑かな

 

不整脈のある母には温度差がないほうがよいと考えて、わが家では春、秋のある時期を除いては、年中エアコンをつけて室温を一定に保っていた。そのせいか、ほとんど母が汗をかくのを見なくなった。もしかしたら、冷房を入れることによって汗をかかなくなり、汗腺機能が衰えてしまっていたのかも知れない。よかれと思ってやっていたことが母の身体にとって、よかったのかどうか・・・。

風薫る初夏のさわやかな日など、母を車椅子で外に連れ出して、うっすらと汗をかかせてやりたいと思うことがあったが、結局それも果たせないままに終わってしまった。

俳句に詠むより実践することこそが「徘介護」だったといま改めて反省している。

 

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春灯

春灯やこの椅子に母ここに父

 

父が亡くなって五年余り、母が亡くなって一年、いまだに二人の死を乗り越えたとは言い難い。

端的にいうと毎日が面白くない。たとえば仕事が早く終わった日、「さあ、これから帰って父と一杯やれる」というときの父がいない。たとえば日曜日、「今日は天気もよいし、父と母とどこかへ行こうか」などというときの父も母もいない。おいしいものを食べても一人、うつくしいものを見ても一人、日々の生活に“張り”がない。

そのうえ母が亡くなって、俳句がほとんど詠めなくなった。俳介護をはじめてからの四年間、巧拙は別としても7400句あまりを詠めたのに、亡くなってからの1年間、詠めたのは100句足らず、結局のところ私の俳句は文字通り「俳介護」だっということか。

 

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