春灯やこの椅子に母ここに父
父が亡くなって五年余り、母が亡くなって一年、いまだに二人の死を乗り越えたとは言い難い。
端的にいうと毎日が面白くない。たとえば仕事が早く終わった日、「さあ、これから帰って父と一杯やれる」というときの父がいない。たとえば日曜日、「今日は天気もよいし、父と母とどこかへ行こうか」などというときの父も母もいない。おいしいものを食べても一人、うつくしいものを見ても一人、日々の生活に“張り”がない。
そのうえ母が亡くなって、俳句がほとんど詠めなくなった。俳介護をはじめてからの四年間、巧拙は別としても7400句あまりを詠めたのに、亡くなってからの1年間、詠めたのは100句足らず、結局のところ私の俳句は文字通り「俳介護」だっということか。
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