この日々の手触りいとし豆の花
11月8日に、まったく同じモチーフの短歌を掲載したので、二番煎じのような作品になってしまうが、同じモチーフの短歌バージョンと俳句バージョンというふうに受け止めていただけたら有難い。
日々の手触りとは、時という無形のものと、自分や自分に関わる人びとや物という有形のものが一体化して確かにそこに「在る」と感じられることとでも表現したらよいだろうか。いずれにせよこれまでの暮らしを振り返ると、手触りのある日々と手触りのない日々がある。
それらの中でも母が亡くなる前の3年程の生活は、時と母と自分とが確かに「在る」ことを実感できる日々であり、それはもう触れることができないだけに「手触り」と表現するにふさわしい日々である。
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