母と在るいまこの時や雪降れり
この句を詠んだとき、もちろんいつか母が旅立つ日がくることを意識はしていた。だから、母と在る時間を慈しみたいと考えていた。とは言え、介護の日常はどこか時間に追われてしまう。
ここ半年ほどの母は睡っている時間が増えて、起きて車椅子に座っていても黙っていることが多かった。互いのことばも通じず、会話らしい会話をすることもほとんどなかった。
それでも母がいてくれるだけでさみしくはなかった。いのちの存在とはすごいものだと改めて思う。
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九月尽母のいのちの尽きにけり
昨日、2024年9月30日、母が死んでしまった。母の死がいずれ来ることは覚悟していたが、いざそうなってみると、なにか呆然としている。もう寝る前におむつを替えなくてもよいとか、食事や服薬の用意もしなくてよいとか、急に日課だったことがなくなり、することが思いつかない。葬儀の準備や母の死後の事務手続きなど、することはたくさんあるのだが、それは日常に割り込んできた瑣事でしかない。認知症になってから約20年、父が亡くなり母と二人暮しになって4年余り。これらの日常が今後がらりと変わるのだ。
九月尽とは、旧暦9月の晦日をいい、秋が尽きるというのが季語の本意らしいが、いまの私の気持ちには叶うと思う。
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溶けてゆくアイスクリームと母の語彙
認知症になってことばをわすれる。これはある程度想像はついた。実際、母は多くの物の名前をわすれてしまっているに違いない。
だが、ことばの文脈どころか、ことばそのものが崩壊するとは思いもよらなかった。たとえば、「おしっっこしたい」が「しーたい」。これはまだ状況から意味が理解できたが、「きーしーけーもーはーよー」となると、いかに状況を考えても、何を言いたいのかまったく理解できなかった。
ことばが解けていく。あるいは溶けていく。ときどき母の口から発せられる意味不明のことばを聞くと、文字が線にもどっていくような、真っ直ぐな線がたるんでいくような想像をすることがある。
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ふとわれは姥捨をせし人間の生まれ変はりと思ふ夕暮
夏目漱石の『夢十夜』に、背中に負ぶった子どもが、ちょうど百年前に自分が殺した人間だと気づき、その瞬間に背中の子どもが石地蔵のように重くなるというおそろしい話がある。
この短編を読んで、仮に前世に私が人間だとしたら、どんな人間だっただろうと考えた。
そして、ふと私は前世、姥捨ての風習のあった村で、母を山に捨ててきた人間かも知れないと思った。ただ、幸いにして前世の母は、私が姥捨てをしたことを許してくれているのかも知れない。こうして母の介護をしながらも穏やかに暮らせているのだから。
それともある日、前世の自分の行為を思い出し、母が石地蔵のように重くなる日が来るのだろうか。
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遠き日や土筆よろこぶ母ありき
子どものころ、土筆を摘んで帰ると母は喜んでくれた。もっとも料理をするのは母ではなくて父だったが……。
男子というのは、なにかしら母の期待を感じているものだと思う。もちろん男女に限らず子どもは親の期待を背負うものだが、ある意味男子にとって母親の期待は呪縛にもなっている場合があるように思う。
その点では、母は不思議なほど私にプレッシャーをかけることがなかった。内心ではそれなりに期待していたのかも知れないが、それを直接口にすることはなかった。
それが良かったのか悪かったのか。私は何者と呼べるほどの人間になれなかったが、私に呪縛をかけなかった母に感謝している。
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母食はぬ雑炊汁を失へる
母はだんだんとご飯が食べられなくなってきた。咀嚼はするが飲み込むのが難しいらしい。ずいぶん長く噛んだあと、飲み込めなかった分を舌の上に載せて吐き出してくる。
パンは比較的よく食べるので、ご飯が食べられないときはパンを食べてもらうが、日本人の性なのか、ご飯を食べないと元気が出ないような気がしてしまう。
そこでとろろ掛けご飯にしたり、雑炊にしたりして、なんとか母が食べやすいようにと工夫してみるのだが、結局はその日の調子次第で食べない日は食べない。
用意したものを食べてくれないのにはもう慣れたとは言え、すっかり汁気を失った雑炊を見ると、ちょっとさびしい気持ちがした。
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食事介助して新米のほの温し
箸での食事が無理となり、スプーンでの食事も無理となった。箸は持てない。スプーンは持てるのだが、水平を保ったまま口に持っていけないので、途中で乗せたものが落ちてしまうのだ。フォークに突き刺したものはなんとか自分で食べられるが、ご飯はそういうわけにはいかない。
食事の際、母と私のご飯を同時によそうと、母に食べさせている間に私のご飯は冷めてしまう。それでだんだんと自分が先に食べてから、母に食べてもらうことが多くなった。
最近は、母が私と同じ物を食べられなくなってきた。食事のタイミングはずれるとしても、何か一品でも私と同じ物を食べてくれるとうれしい。家族だから。
※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中
柿の花咲いて正岡律の忌や
正岡子規を母・八重とともに介護した妹・律の忌日は昭和16年5月24日である。そろそろ柿の花の咲き始める頃だ。子規の「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」は、芭蕉の「古池や……」の句と並び、もっとも人口に膾炙した句であり、日本の文学史上の果実だが、それに比して律の介護を知る人は少なく、まさに目立たない柿の花を思わせる。しかし、律の介護という花が、子規の短歌革新・俳句革新という文学史上の果実を実らせたと言っても過言ではないだろう。
私は一句でも多く律を詠みたいと思う。それは、いまも柿の花のように咲いている名も知られぬ介護者たちと律への「投瓶通信」でもある。
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知れる人なきが悲しとつぶやきて母は食事に手をつけざりき
このときは私もかなしかった。いくら私は息子だと言っても、母には分からない。母の記憶の中にいる、父や祖父母や姉、妹はいない。一口も食べようとしない母を前に、もはや掛けることばがなかった。
しかし、長生きするということはこういうことなのだ。知っている人間は先に亡くなってしまって、自分だけが生き残る。長生きは、よほど孤独に強い人か、新しく出会う人とでも心を通わせることの出来る人でなくては、かえって辛かろうと母を見ていて思う。
もっとも人の寿命を決めるのはその人自身ではない。辛かろうが、淋しかろうが、生ある限り生きるほかない。
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頬に餡つけたる老母春めきぬ
母を詠んだ俳句には、パンを手にしたまま眠ってしまったり、菓子を握りしめていたりと、幼子のような姿を描いた句が少なくない。実際、いまの母はある意味幼子にもどっているのかも知れない。
老母の介護をしていると、「施設に預けることを考えないのか」と尋ねられることがある。その問いへの答えは、「たとえ一晩でも幼子を施設に預けられますか?」という問いへの答えに似ているかも知れない。
もっとも幼子は季節に喩えるとまさに春で、はじまりの躍動に満ちている。一方、高齢者は冬で、おわりの静けさを漂わす。いかに母が幼子めいていても幼子のように、存在そのものが春めくことはない。
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