土筆

遠き日や土筆よろこぶ母ありき

 

子どものころ、土筆を摘んで帰ると母は喜んでくれた。もっとも料理をするのは母ではなくて父だったが……。

男子というのは、なにかしら母の期待を感じているものだと思う。もちろん男女に限らず子どもは親の期待を背負うものだが、ある意味男子にとって母親の期待は呪縛にもなっている場合があるように思う。

その点では、母は不思議なほど私にプレッシャーをかけることがなかった。内心ではそれなりに期待していたのかも知れないが、それを直接口にすることはなかった。

それが良かったのか悪かったのか。私は何者と呼べるほどの人間になれなかったが、私に呪縛をかけなかった母に感謝している。

 

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雑炊

母食はぬ雑炊汁を失へる

 

母はだんだんとご飯が食べられなくなってきた。咀嚼はするが飲み込むのが難しいらしい。ずいぶん長く噛んだあと、飲み込めなかった分を舌の上に載せて吐き出してくる。

パンは比較的よく食べるので、ご飯が食べられないときはパンを食べてもらうが、日本人の性なのか、ご飯を食べないと元気が出ないような気がしてしまう。

そこでとろろ掛けご飯にしたり、雑炊にしたりして、なんとか母が食べやすいようにと工夫してみるのだが、結局はその日の調子次第で食べない日は食べない。

用意したものを食べてくれないのにはもう慣れたとは言え、すっかり汁気を失った雑炊を見ると、ちょっとさびしい気持ちがした。

 

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新米

食事介助して新米のほの温し

 

箸での食事が無理となり、スプーンでの食事も無理となった。箸は持てない。スプーンは持てるのだが、水平を保ったまま口に持っていけないので、途中で乗せたものが落ちてしまうのだ。フォークに突き刺したものはなんとか自分で食べられるが、ご飯はそういうわけにはいかない。

食事の際、母と私のご飯を同時によそうと、母に食べさせている間に私のご飯は冷めてしまう。それでだんだんと自分が先に食べてから、母に食べてもらうことが多くなった。

最近は、母が私と同じ物を食べられなくなってきた。食事のタイミングはずれるとしても、何か一品でも私と同じ物を食べてくれるとうれしい。家族だから。

 

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柿の花

柿の花咲いて正岡律の忌や

 

正岡子規を母・八重とともに介護した妹・律の忌日は昭和16年5月24日である。そろそろ柿の花の咲き始める頃だ。子規の「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」は、芭蕉の「古池や……」の句と並び、もっとも人口に膾炙した句であり、日本の文学史上の果実だが、それに比して律の介護を知る人は少なく、まさに目立たない柿の花を思わせる。しかし、律の介護という花が、子規の短歌革新・俳句革新という文学史上の果実を実らせたと言っても過言ではないだろう。

私は一句でも多く律を詠みたいと思う。それは、いまも柿の花のように咲いている名も知られぬ介護者たちと律への「投瓶通信」でもある。

 

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知れる人なき

知れる人なきが悲しとつぶやきて母は食事に手をつけざりき

 

このときは私もかなしかった。いくら私は息子だと言っても、母には分からない。母の記憶の中にいる、父や祖父母や姉、妹はいない。一口も食べようとしない母を前に、もはや掛けることばがなかった。

しかし、長生きするということはこういうことなのだ。知っている人間は先に亡くなってしまって、自分だけが生き残る。長生きは、よほど孤独に強い人か、新しく出会う人とでも心を通わせることの出来る人でなくては、かえって辛かろうと母を見ていて思う。

もっとも人の寿命を決めるのはその人自身ではない。辛かろうが、淋しかろうが、生ある限り生きるほかない。

 

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春めく

頬に餡つけたる老母春めきぬ

 

母を詠んだ俳句には、パンを手にしたまま眠ってしまったり、菓子を握りしめていたりと、幼子のような姿を描いた句が少なくない。実際、いまの母はある意味幼子にもどっているのかも知れない。

老母の介護をしていると、「施設に預けることを考えないのか」と尋ねられることがある。その問いへの答えは、「たとえ一晩でも幼子を施設に預けられますか?」という問いへの答えに似ているかも知れない。

もっとも幼子は季節に喩えるとまさに春で、はじまりの躍動に満ちている。一方、高齢者は冬で、おわりの静けさを漂わす。いかに母が幼子めいていても幼子のように、存在そのものが春めくことはない。

 

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痛してふ母のさびしさ撫づる秋

 

母の「痛い」にはどうも三つある。本当に腕や足などが痛むときの痛い。何かが身体に触れたときの違和感や恐怖を表わす痛い。そして、自分の傍に誰か来てほしいときの痛い。

三つ目の「痛い」には私の反省もある。母は傍に誰かいないときに「ここへ来てよぉ」と言うことがある。ただ、料理を作っていて火のそばを離れられないときなど、「ちょっと待って」と言わざるを得ない。しかし、母には私のその状況が理解出来ないから、立て続けに「来てよぉ」を繰り返す。そのうちに私のほうが癇癪を起こして怒るということが何回かあったのだ。

三つ目の「痛いよ」は、人を呼ぶための母の知恵ではないかと私は考えている。

 

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昼寝

母と姉と父の位牌と昼寝かな

 

往診に訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴と家にいながらにしてサービスを受けられるのは有難い。一方で、日替わりで人が家を訪ねてくる気疲れも正直ある。

父の四十九日を終えた7月頃のことだったろうか、母と姉と3人で昼寝をしたことがある。その日は、どのサービスも入っていない日で、眠そうにしている母を見て、姉がみんなで昼寝をしようと言った。

仏間にあるベッドに母を寝かし、姉と私は畳の上にごろんと横になった。横になる前に、仏壇にある父の位牌が目に入った。なんだか父とも昼寝をしている気持ちになった。

ほんの30分ほどのことだったと思うが、不思議な静けさと平穏に包まれた時間であった。

 

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演技

わすれをる演技を母はしをるやも過ち多き息子おもひて

 

本当に母は認知症なのだろうか。いや、認知症には違いないのだが、ときどき記憶が鮮明なときもあるように思う。もちろんすべての記憶が蘇ったわけではなく、いくつかの事柄を思い出すだけなのだろうが、少なくとも私のことが息子と分かり、いま、自分の置かれている立場がどういうものか認識しているときがあるのではないか。

私は生来癇癪な質で、些細なことですぐに怒ってしまう。そして、後でそんな自分が情けなくなる。母のほうは感情を表情に表わさず「なぜ怒るの?」というような顔をしているが、あれは私を落ち込ませないための演技ではなかろうか。「分かっているよ」母の目がそう言っているように思えることがある。

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水温む

水温む老母の嗽ががががぺ

 

母の歯磨きは私がしている。歯を磨くという行為そのものをわすれてしまっているようだから、自分で歯ブラシを持たせてもきょとんとしている。誤嚥性肺炎を起こさないために、口の中を清潔にするよう主治医から言われているので、代わりに私が磨く。

歯を磨いて口を漱ぐとき、本人は「がらがら」としているつもりなのだろうが、私の耳には「がががが」としか聞こえない。吐き出すときの「ぺ」だけは同じだが……。

「がらがら」ではなく、「くちゅくちゅ」するように言って、しばらくは出来ていたが、もうそれもほとんどしなくなった。いまはただ、水を口に含んで「だー」と吐き出すだけだ。まあ、歯が磨けるだけよしとしよう。

 

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