暮らしの手触り

やはらかに衰へてゆく老母との日々の暮らしの手触りいとし

 

認知症にくわえて、糖尿病・不整脈・脊椎間狭窄症など数々の病気を発症した母との暮らしは思い起こすと平坦とは言えないものだった。しかし、そのときは辛かったり、哀しかったりしたことも過ぎてしまうと懐かしくさえ思われる。

幸いなことに、亡くなる前の2,3年は比較的母の体調は良く、狭窄症の後遺症の痛みなどを訴える日も少なかった。その分認知症はすすみ、姉や私のこともほとんど分かってはいなかったと思うが、母の介護しながら送る毎日には確かな手触りがあった。

この日々をもう少し続けていきたいと思っていたが、それは叶わぬ夢となった。

 

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日永

退屈を母と分け合ふ日永かな

 

私が仕事に行く平日は、いつも姉が来て母の世話をしてくれた。それは義兄が単身赴任をしてくれたお陰だが、日曜や祝日は私が一日家にいられるので、姉は来ない。週末は義兄が家に帰ってくるし、姉も毎日では大変だから、祝日は休んでもらわないといけない。

そうではあるのだが、まる一日一人で母の相手をするのも正直つらい。母は食事以外は車椅子にじっと座っているほかにすることがない。テレビを観ても内容がもう理解出来ないらしく面白がる様子もない。私は私で、できるだけ母の傍にいてやりたいとは思うものの、母の傍で何といってすることもない。

結局は二人で退屈している。休日は一日が本当に長かった。

 

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抱ふれば冬の匂ひの老母かな

 

ここにいう匂いとは嗅覚で感じる、いわゆる香りとは違う。ある種の風情とでもいえばいいだろうか。ベッドから車椅子に母を移乗するときに抱きかかえる。そのときに、ふと冬に着る毛糸の服がふくんでいるようなほのかな空気の温かさを感じた。

こんなふうに冬の風情に温かさを感じるのは、私が紀州という温暖な地に生まれ育ったためであって、厳寒の地で暮らす方ならまた別の感じ方をするかも知れない。

とは言え、人間の一生を季節に喩えれば、90歳を過ぎた母はまさに冬の季節を生きていた。そしてその母の介護をしていた私は長い長い冬籠もりをしていたと言えるかも知れない。

 

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小春

病む母の笑みこそわれの小春かな

 

高齢者を在宅で介護している家というのは、季節でいえば常に冬のようなものである。どんなに懸命に介護したところで、待っているのは死だ。老いと死を逃れる術はなく、人生の最晩年を生きる者にふたたび春が巡ってくることない。

そうは言うものの、冬には冬の良さがある。概して楽しみなことの少ない冬だからこそ、ささいなことがうれしかったり、共に在ることの喜びを感じたり、今までなんでもなかったことの有難みに気づくということもあった。

そして、私にとって何ものにも代えがたかったのは、母の笑みであった。それは冬のさなかに小春のように、私のこころと身体を温めてくれた。

 

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一葉落つ

一葉落つ仏のやうに母笑めば

 

微笑んだ母の顔がとてもやさしいときがあって、そんなとき私は、なぜか母の死が近いような気がして心配したものだった。

実際、それは杞憂に過ぎず、1年に何度か仏様のような微笑みを浮かべながらも、母は何年も生きてくれた。

認知症になってからの二十年近い暮らしのなかで、死にたいと口にしたこともあった母だったが、亡くなる2,3年前にはもう「~したい」というような意志や欲をことばにすることはなくなって、生かされるままに淡々と生きていたように思う。その意味では、母はもう仏になりかかっていたのかも知れない。

そして終に母はほんとうの仏様になるべくこの世を旅立った。お母さん、私を見守ってください。

 

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さばが好き!

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母の日

母の日はやさしく母の尻を拭く

 

母が立てなくなってから、もっぱら排泄は紙おむつとパット頼みとなった。幸いにして便秘になることなく、毎日少しずつ排便があって、朝おむつを替えるときに便の処理をするのが亡くなる1年ほど前からほぼ日課になっていた。

自分の肛門についた便は自分では見えないが、母の肛門についた便は見えているので、きれいに拭こうとしてついつい力が入ってしまうことがある。それで母に痛がられることがしばしばあった。

母の日とて、どこにも出かけられず、食べられるものも限定される母には、特別にしてやれることがない。せめて今日だけはといつもよりやさしく母の尻を拭いた。

 

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雪降れり

母と在るいまこの時や雪降れり

 

この句を詠んだとき、もちろんいつか母が旅立つ日がくることを意識はしていた。だから、母と在る時間を慈しみたいと考えていた。とは言え、介護の日常はどこか時間に追われてしまう。

ここ半年ほどの母は睡っている時間が増えて、起きて車椅子に座っていても黙っていることが多かった。互いのことばも通じず、会話らしい会話をすることもほとんどなかった。

それでも母がいてくれるだけでさみしくはなかった。いのちの存在とはすごいものだと改めて思う。

 

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九月尽

九月尽母のいのちの尽きにけり

 

昨日、2024年9月30日、母が死んでしまった。母の死がいずれ来ることは覚悟していたが、いざそうなってみると、なにか呆然としている。もう寝る前におむつを替えなくてもよいとか、食事や服薬の用意もしなくてよいとか、急に日課だったことがなくなり、することが思いつかない。葬儀の準備や母の死後の事務手続きなど、することはたくさんあるのだが、それは日常に割り込んできた瑣事でしかない。認知症になってから約20年、父が亡くなり母と二人暮しになって4年余り。これらの日常が今後がらりと変わるのだ。

九月尽とは、旧暦9月の晦日をいい、秋が尽きるというのが季語の本意らしいが、いまの私の気持ちには叶うと思う。

 

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アイスクリーム

溶けてゆくアイスクリームと母の語彙

 

認知症になってことばをわすれる。これはある程度想像はついた。実際、母は多くの物の名前をわすれてしまっているに違いない。

だが、ことばの文脈どころか、ことばそのものが崩壊するとは思いもよらなかった。たとえば、「おしっっこしたい」が「しーたい」。これはまだ状況から意味が理解できたが、「きーしーけーもーはーよー」となると、いかに状況を考えても、何を言いたいのかまったく理解できなかった。

ことばが解けていく。あるいは溶けていく。ときどき母の口から発せられる意味不明のことばを聞くと、文字が線にもどっていくような、真っ直ぐな線がたるんでいくような想像をすることがある。

 

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姥捨

ふとわれは姥捨をせし人間の生まれ変はりと思ふ夕暮

 

夏目漱石の『夢十夜』に、背中に負ぶった子どもが、ちょうど百年前に自分が殺した人間だと気づき、その瞬間に背中の子どもが石地蔵のように重くなるというおそろしい話がある。

この短編を読んで、仮に前世に私が人間だとしたら、どんな人間だっただろうと考えた。

そして、ふと私は前世、姥捨ての風習のあった村で、母を山に捨ててきた人間かも知れないと思った。ただ、幸いにして前世の母は、私が姥捨てをしたことを許してくれているのかも知れない。こうして母の介護をしながらも穏やかに暮らせているのだから。

それともある日、前世の自分の行為を思い出し、母が石地蔵のように重くなる日が来るのだろうか。

 

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