明易

明易し夜通し喋る母手強

 

いま母親を施設に入れて介護している友がいる。ところが、ご母堂からは時間かまわず携帯電話がかかってくるという。これでは気の休まるときがあるまい。

自分はどうだったか。母と一緒に暮らしてはいたが、四六時中気の休まるときがないという状態はなかったように思う。もっとも私の場合、母がまだ活発な頃は父や姉と一緒の介護で、一人で母の相手をしているわけではなかったので、そのお陰もあるが・・・。

それでも父が亡くなって、母の隣に寝るようになってから、月に一、二度母が夜通し訳の解らぬことを喋り続けることがあって、これにはお手上げであった。短夜の頃などは何とか眠ろうと思っている間に空が白んできて、明るくなってから二時間ほどまどろむ、そんな日もあった。

 

 

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わが家も減塩!

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涼し

客の菓子食うて涼しき顔の母

 

訪問看護師さんや訪問リハビリの理学療法士さんが来てくれる日は、一段落すると皆でお茶の時間を設けていた。日々の楽しみらしきものがない母にとって、甘い物を食べるのが唯一の楽しみであった。

それを知っている看護師さんや理学療法士さんたちはよく自分の分のお菓子を母に勧めてくれた。もはや子ども同然で遠慮会釈もわすれてしまっている母はそれをさも当然のように口に入れる。時には勧められる前からお客の菓子に手を伸ばす。

さて、掲句は俳句としては駄句である。「涼し」は時候の季語であり、本意は暑さの中の凉ということだ。それを「涼しい顔」という慣用表現としてつかっては季語とは呼べまい。だが、私はもはや秀句にはこだわらない。俳介護はこれでいい。

 

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遠泳

岸見えぬ遠泳のごと介護とは

 

親の介護をしていて心が折れそうになるときは、終わりが見えないと感じるときではないかと思う。それはまるで岸の見えない遠泳をしているような感覚だ しかも岸にたどり着くということは、すなわち介護している親が死ぬということなのである。心が折れそうになるのも無理はない。

それでも多くの人は、岸に着く前に溺れてしまう不安と闘いながら泳ぎ続ける。終わりが見えないからといって、ぷかぷかと海に浮かんでいるゆとりは介護にはない。

もっとも私の場合、泳ぎ着いたというより流れ着いたというようなものだが、友人たちの中にはまさにいま遠泳をしている人たちがいる。どうか無事に泳ぎ切ってくれることを祈るばかりだ。

 

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涼風

涼風の夢を見ている寝顔かな

 

もう姉のことも私のことも、もしかしたら自分が誰かさえもはっきり分からなくなっていた母にとって、目覚めている時間と眠っている時間、どちらが幸せだっただろう。

もちろん悪夢にうなされる日もあったには違いないが、それでも母がいかにも楽しそうに寝言を言っているのを何度も耳にしたことがある。それが夏の昼間なら、その心地よさそうな顔はまるで涼風に吹かれているようであった。

幸せそうな母の寝顔。それを見ることは私のこころ救われる時間である同時に、一抹のさみしさを感じる時間でもあった。目覚めて私と過ごしているときに、母はこんな顔をしてくれることはもうないだろうと思われたから。

 

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初鰹

初のつく物みな母に初鰹

 

「初物を食べると寿命が延びる」といわれている。だから、できる限りわが家では、初のつく物を母に食べてもらうようにしていた。

スーパーなどでその年初めて出回った食材もそうだし、家庭菜園で作っている野菜も、初生りの物はまず母に食べてもらっていた 「初物を食べると寿命が延びる」というのは俗信には違いない。しかし、買うときも作るときも、それを意識することは食事に気を配ることになるから、結果的にこの俗信を信じることは健康的な食事に通じると思う。

ただ、仮に初物を食べたから母が長生きしたのだとして、その長生きが母にとって幸せだったかどうか……。その点について、いまだに私は答えを出せないでいる。

 

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汗疹

わが手抜き母の汗疹となりにけり

 

母の生前、週一回訪問入浴と訪問看護に、週二回ヘルパ―さんに来てもらっていた。入浴の日はもちろんだが、訪問看護師さんやヘルパーさんが来てくれる日も清拭をしてくれるので、母の肌は九十歳を過ぎた老人とは思えないくらい潤っていた。ただ、冬場の乾燥はそれで防げたが、夏場は乾燥しないかわりに湿疹などできやすく、これは週三日の手当では防げないこともあるので、私もできる限り母の身体を拭くようにしていた。そのときに、母の身体に湿疹やあざがないかなどしっかり見ているつもりでも、気づいていなかった汗疹やあざを訪問看護師さんやヘルパーさんから指摘されることも少なからずあった。

生きている身体は日々変化する。母の身体に表れた汗疹は、母が生きている証でもあり、母を介護する私の手抜きの証でもあった。

 

※ この作品は第26回NHK全国俳句大会入選作品集に掲載されています。

 

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ところてん

ところてん母転んでも笑へた頃

 

いまnoteというweb媒体で、『私の 母の 物語』という小説を連載している。10年ほど前に書いたもので、母に認知症の症状が出始めてから、脊椎管狭窄症になって手術をし、退院後家族旅行に行ったときまでのことをベースに書いたものだが、毎日文章をアップしながら、さまざまの病気に苦しんだ母の人生の最晩年の20年を思うと、長生きが果たして幸せだったのだろうかと、そればかりを考えてしまう。

まだ母が元気で、ワックスをかけて間もない床でつるんと転んで「ははは、こけてしもた…」と笑っていた頃と、母が転ぶことの心配ばかりしていた頃、母が車椅子生活になって転ぶ心配のなくなった頃を重ね合わせ、言いようの感慨にふけっている。

 

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蛍火

蛍火や母も明滅するいのち

 

ちょっとしたことが命取りになる。とくに不調らしい不調がなくても、いのちが尽きてしまうかも知れない。そう覚悟はしていた。それでもいざ亡くなってみると、いのちとは何と儚いものなのだと思わずにはいられない。

4ヶ月近くブログを休んでいましたが、今日からまたブログを再開いたします。正直まだいろいろ思い出しながら書いていると哀しくなってきて、なかなか筆が進みません。しかし、まだ公開していない句も数十句以上あり、これをこのまま眠らせてしまったのでは、自分の「俳介護」の日々が完結しないような気もします。今までのように三日に一度の更新とはいきませんが、週に一度くらいときどきのぞいてくださるとうれしく思います。

 

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母の日

母の日はやさしく母の尻を拭く

 

母が立てなくなってから、もっぱら排泄は紙おむつとパット頼みとなった。幸いにして便秘になることなく、毎日少しずつ排便があって、朝おむつを替えるときに便の処理をするのが亡くなる1年ほど前からほぼ日課になっていた。

自分の肛門についた便は自分では見えないが、母の肛門についた便は見えているので、きれいに拭こうとしてついつい力が入ってしまうことがある。それで母に痛がられることがしばしばあった。

母の日とて、どこにも出かけられず、食べられるものも限定される母には、特別にしてやれることがない。せめて今日だけはといつもよりやさしく母の尻を拭いた。

 

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アイスクリーム

溶けてゆくアイスクリームと母の語彙

 

認知症になってことばをわすれる。これはある程度想像はついた。実際、母は多くの物の名前をわすれてしまっているに違いない。

だが、ことばの文脈どころか、ことばそのものが崩壊するとは思いもよらなかった。たとえば、「おしっっこしたい」が「しーたい」。これはまだ状況から意味が理解できたが、「きーしーけーもーはーよー」となると、いかに状況を考えても、何を言いたいのかまったく理解できなかった。

ことばが解けていく。あるいは溶けていく。ときどき母の口から発せられる意味不明のことばを聞くと、文字が線にもどっていくような、真っ直ぐな線がたるんでいくような想像をすることがある。

 

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