遠泳

岸見えぬ遠泳のごと介護とは

 

親の介護をしていて心が折れそうになるときは、終わりが見えないと感じるときではないかと思う。それはまるで岸の見えない遠泳をしているような感覚だ しかも岸にたどり着くということは、すなわち介護している親が死ぬということなのである。心が折れそうになるのも無理はない。

それでも多くの人は、岸に着く前に溺れてしまう不安と闘いながら泳ぎ続ける。終わりが見えないからといって、ぷかぷかと海に浮かんでいるゆとりは介護にはない。

もっとも私の場合、泳ぎ着いたというより流れ着いたというようなものだが、友人たちの中にはまさにいま遠泳をしている人たちがいる。どうか無事に泳ぎ切ってくれることを祈るばかりだ。

 

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涼風

涼風の夢を見ている寝顔かな

 

もう姉のことも私のことも、もしかしたら自分が誰かさえもはっきり分からなくなっていた母にとって、目覚めている時間と眠っている時間、どちらが幸せだっただろう。

もちろん悪夢にうなされる日もあったには違いないが、それでも母がいかにも楽しそうに寝言を言っているのを何度も耳にしたことがある。それが夏の昼間なら、その心地よさそうな顔はまるで涼風に吹かれているようであった。

幸せそうな母の寝顔。それを見ることは私のこころ救われる時間である同時に、一抹のさみしさを感じる時間でもあった。目覚めて私と過ごしているときに、母はこんな顔をしてくれることはもうないだろうと思われたから。

 

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初鰹

初のつく物みな母に初鰹

 

「初物を食べると寿命が延びる」といわれている。だから、できる限りわが家では、初のつく物を母に食べてもらうようにしていた。

スーパーなどでその年初めて出回った食材もそうだし、家庭菜園で作っている野菜も、初生りの物はまず母に食べてもらっていた 「初物を食べると寿命が延びる」というのは俗信には違いない。しかし、買うときも作るときも、それを意識することは食事に気を配ることになるから、結果的にこの俗信を信じることは健康的な食事に通じると思う。

ただ、仮に初物を食べたから母が長生きしたのだとして、その長生きが母にとって幸せだったかどうか……。その点について、いまだに私は答えを出せないでいる。

 

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汗疹

わが手抜き母の汗疹となりにけり

 

母の生前、週一回訪問入浴と訪問看護に、週二回ヘルパ―さんに来てもらっていた。入浴の日はもちろんだが、訪問看護師さんやヘルパーさんが来てくれる日も清拭をしてくれるので、母の肌は九十歳を過ぎた老人とは思えないくらい潤っていた。ただ、冬場の乾燥はそれで防げたが、夏場は乾燥しないかわりに湿疹などできやすく、これは週三日の手当では防げないこともあるので、私もできる限り母の身体を拭くようにしていた。そのときに、母の身体に湿疹やあざがないかなどしっかり見ているつもりでも、気づいていなかった汗疹やあざを訪問看護師さんやヘルパーさんから指摘されることも少なからずあった。

生きている身体は日々変化する。母の身体に表れた汗疹は、母が生きている証でもあり、母を介護する私の手抜きの証でもあった。

 

※ この作品は第26回NHK全国俳句大会入選作品集に掲載されています。

 

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ところてん

ところてん母転んでも笑へた頃

 

いまnoteというweb媒体で、『私の 母の 物語』という小説を連載している。10年ほど前に書いたもので、母に認知症の症状が出始めてから、脊椎管狭窄症になって手術をし、退院後家族旅行に行ったときまでのことをベースに書いたものだが、毎日文章をアップしながら、さまざまの病気に苦しんだ母の人生の最晩年の20年を思うと、長生きが果たして幸せだったのだろうかと、そればかりを考えてしまう。

まだ母が元気で、ワックスをかけて間もない床でつるんと転んで「ははは、こけてしもた…」と笑っていた頃と、母が転ぶことの心配ばかりしていた頃、母が車椅子生活になって転ぶ心配のなくなった頃を重ね合わせ、言いようの感慨にふけっている。

 

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蛍火

蛍火や母も明滅するいのち

 

ちょっとしたことが命取りになる。とくに不調らしい不調がなくても、いのちが尽きてしまうかも知れない。そう覚悟はしていた。それでもいざ亡くなってみると、いのちとは何と儚いものなのだと思わずにはいられない。

4ヶ月近くブログを休んでいましたが、今日からまたブログを再開いたします。正直まだいろいろ思い出しながら書いていると哀しくなってきて、なかなか筆が進みません。しかし、まだ公開していない句も数十句以上あり、これをこのまま眠らせてしまったのでは、自分の「俳介護」の日々が完結しないような気もします。今までのように三日に一度の更新とはいきませんが、週に一度くらいときどきのぞいてくださるとうれしく思います。

 

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母の日

母の日はやさしく母の尻を拭く

 

母が立てなくなってから、もっぱら排泄は紙おむつとパット頼みとなった。幸いにして便秘になることなく、毎日少しずつ排便があって、朝おむつを替えるときに便の処理をするのが亡くなる1年ほど前からほぼ日課になっていた。

自分の肛門についた便は自分では見えないが、母の肛門についた便は見えているので、きれいに拭こうとしてついつい力が入ってしまうことがある。それで母に痛がられることがしばしばあった。

母の日とて、どこにも出かけられず、食べられるものも限定される母には、特別にしてやれることがない。せめて今日だけはといつもよりやさしく母の尻を拭いた。

 

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アイスクリーム

溶けてゆくアイスクリームと母の語彙

 

認知症になってことばをわすれる。これはある程度想像はついた。実際、母は多くの物の名前をわすれてしまっているに違いない。

だが、ことばの文脈どころか、ことばそのものが崩壊するとは思いもよらなかった。たとえば、「おしっっこしたい」が「しーたい」。これはまだ状況から意味が理解できたが、「きーしーけーもーはーよー」となると、いかに状況を考えても、何を言いたいのかまったく理解できなかった。

ことばが解けていく。あるいは溶けていく。ときどき母の口から発せられる意味不明のことばを聞くと、文字が線にもどっていくような、真っ直ぐな線がたるんでいくような想像をすることがある。

 

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柿の花

柿の花咲いて正岡律の忌や

 

正岡子規を母・八重とともに介護した妹・律の忌日は昭和16年5月24日である。そろそろ柿の花の咲き始める頃だ。子規の「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」は、芭蕉の「古池や……」の句と並び、もっとも人口に膾炙した句であり、日本の文学史上の果実だが、それに比して律の介護を知る人は少なく、まさに目立たない柿の花を思わせる。しかし、律の介護という花が、子規の短歌革新・俳句革新という文学史上の果実を実らせたと言っても過言ではないだろう。

私は一句でも多く律を詠みたいと思う。それは、いまも柿の花のように咲いている名も知られぬ介護者たちと律への「投瓶通信」でもある。

 

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昼寝

母と姉と父の位牌と昼寝かな

 

往診に訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴と家にいながらにしてサービスを受けられるのは有難い。一方で、日替わりで人が家を訪ねてくる気疲れも正直ある。

父の四十九日を終えた7月頃のことだったろうか、母と姉と3人で昼寝をしたことがある。その日は、どのサービスも入っていない日で、眠そうにしている母を見て、姉がみんなで昼寝をしようと言った。

仏間にあるベッドに母を寝かし、姉と私は畳の上にごろんと横になった。横になる前に、仏壇にある父の位牌が目に入った。なんだか父とも昼寝をしている気持ちになった。

ほんの30分ほどのことだったと思うが、不思議な静けさと平穏に包まれた時間であった。

 

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