寒さ

出づるより母思はるる寒さかな 

 

不整脈のある母の心臓の負担をすこしでも減らそうと、わが家は春や秋の一、二ヵ月を除いては、ほぼ一年中冷暖房をつかって室温を一定に保っていた。

それでも外気温の変化は、少なからず心臓に影響を与えると訪問看護師さんからうかがっていたので、急に暑くなったり寒くなったりした日は不整脈が出ないかどうか心配だった。

この日仕事に行くために、暖房のきいた家の中から外へ出たら、思いのほか外が寒かった。ふと母のことが心配になって、後ろ髪引かれる思いで仕事に向かった。

母亡きいま、そんな心配はなくなったが、心配せずに済むことがなんともさみしい。

 

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稲の花

平凡に生きられぬ世や稲の花

 

戦後八十年。日本の国内では戦争はなかった。第二次世界大戦後も、国内での紛争や外国による侵略、独裁的な政権による弾圧などで苦しんでいる国の人々を思うと、本当にそれだけでも幸せなことだ。

そんな世界から見れば平穏な日本という国にも、地震や洪水などの大災害や、航空機や鉄道や自動車などの事故や、凶悪な犯罪、卑劣な詐欺などに苦しめられたり、命を奪われたりする人々がいる。

そうした人々に比べれば、認知症になってしまったとはいえ、父や母の生涯は恵まれたものであったには違いないが、それにしても、こんな平和ボケと云われるような国でさえ、平凡に生き、平凡に死んでいくことのなんとむずかしいことかと思わずにはいられない。

 

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涼風

涼風の夢を見ている寝顔かな

 

もう姉のことも私のことも、もしかしたら自分が誰かさえもはっきり分からなくなっていた母にとって、目覚めている時間と眠っている時間、どちらが幸せだっただろう。

もちろん悪夢にうなされる日もあったには違いないが、それでも母がいかにも楽しそうに寝言を言っているのを何度も耳にしたことがある。それが夏の昼間なら、その心地よさそうな顔はまるで涼風に吹かれているようであった。

幸せそうな母の寝顔。それを見ることは私のこころ救われる時間である同時に、一抹のさみしさを感じる時間でもあった。目覚めて私と過ごしているときに、母はこんな顔をしてくれることはもうないだろうと思われたから。

 

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母の心根

盗られしと一度たりとも訴へず母は財布を無くせしといふ

 

母はこころの美しい人であった。わたしがそう思うのは、認知症になってからの母がなんの忖度も遠慮もなく、自分の感じたままを率直に表現しながらも、人を非難したり、疑ったりすることばをひと言も口にしなかったからである。

認知症の人の中には、自分が財布をどこに置いたかわすれたときに「財布を盗まれた」という人も少なからずいるという。しかし母は「わたしの財布どこぞへいてしもた」とか「わたしや財布なくした」とかいっても、「盗られた」といったことは一度もなかった。

もちろんことばのやり取りの中で、腹の立つことやつらいこともあったが、母の心根の美しさがよく分かっていたから、母を嫌いになることは一度もなかった。

 

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豆の花

この日々の手触りいとし豆の花

 

11月8日に、まったく同じモチーフの短歌を掲載したので、二番煎じのような作品になってしまうが、同じモチーフの短歌バージョンと俳句バージョンというふうに受け止めていただけたら有難い。

日々の手触りとは、時という無形のものと、自分や自分に関わる人びとや物という有形のものが一体化して確かにそこに「在る」と感じられることとでも表現したらよいだろうか。いずれにせよこれまでの暮らしを振り返ると、手触りのある日々と手触りのない日々がある。

それらの中でも母が亡くなる前の3年程の生活は、時と母と自分とが確かに「在る」ことを実感できる日々であり、それはもう触れることができないだけに「手触り」と表現するにふさわしい日々である。

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母と子で名告り合ひたる朝の霜

 

母がいつも目覚めたときに、わたしを知らない人だと思って驚いたり、怖がったりしてはいけないと思って、「幸彦です」と名告ることにしていた。それで分かるときもあれば、名前を聞いても自分の息子だと分からずによその人だと思っているようなときもあって、ある日「幸彦です」と名告ると、母もまた「和子です」と名告った。その母の律儀な名告りぶりが妙に面白かった。

目覚めた母の記憶は、霜に覆われたように真っ白で、それが徐々に解けていって、ああ、そうだ、これは私の息子だったというように思い出すのかもしれないとそのとき思った。もっともその霜は冬に限ったことではなく、季節を問わず、母の記憶を覆ってはいるが……。

 

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葛の花

葛の花われに心の根なる母

 

葛を見るたび、地下に広がる膨大な根を想う。山の斜面を覆い尽くすほど蔓や葉を繁らせるためには、どれほどの根を地中に張り巡らせねばならないことだろうか。もっともその根からあの美しい葛粉がとれて、その葛粉からあのおいしい葛餅が出来なければ、そこまで根のことに意識が向かなかったかもしれない。

生命力の強さを感じさせる蔓や葉、美しくおいしい葛粉と葛餅、さらにはあの鮮やかな紫の花もまた、逞しい根の賜物である。

葛の花を見ていて、自分もいつか心の中にこのように美しいを咲かせてみたいものだと思った。心の花を咲かせるためには、心の根が必要だ。もし私が心の花を咲かせられるとしたら、母という心の根のお陰に違いない。

 

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初鰹

初のつく物みな母に初鰹

 

「初物を食べると寿命が延びる」といわれている。だから、できる限りわが家では、初のつく物を母に食べてもらうようにしていた。

スーパーなどでその年初めて出回った食材もそうだし、家庭菜園で作っている野菜も、初生りの物はまず母に食べてもらっていた 「初物を食べると寿命が延びる」というのは俗信には違いない。しかし、買うときも作るときも、それを意識することは食事に気を配ることになるから、結果的にこの俗信を信じることは健康的な食事に通じると思う。

ただ、仮に初物を食べたから母が長生きしたのだとして、その長生きが母にとって幸せだったかどうか……。その点について、いまだに私は答えを出せないでいる。

 

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夏落葉

丁寧に暮らしてをればそのうちに何か変はると夏落葉掃く

 

玄関の飾り棚に花を飾れた日、私は自分に言い聞かせる。「よし、まだこころは潤いを失ってはいない……」

介護をしていると絶望的な気持ちになることがある。これがいつまで続くのだろう。長く続けば続くほど母は衰えていくのだ。そして結局のところ母は死ぬのだ。そんな気持ちのときは暮らしの端々がどこか粗略になる。

そこで花を活ける。庭を掃く。しっかりと食べる。ことばに気を配る。もちろんそれでも母は衰えていくし、いずれは死ぬ。だが、結末は同じでも何かが変わると信じて……。

母亡きいま、喪失感と未来への不安に苛まれながらも、やはり同じことを自分に言い聞かせている。

 

※ この作品は第26回NHK全国短歌大会入選作品集に掲載されています。

 

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病む母に添へば桜も聞くばかり

 

この春、姉と7年ぶりに花見に行った。父と母と姉と4人で海南市の小野田にある宇賀部神社に花見に出かけたのが7年前。その年の秋からの1年余りは母の体調がすぐれず3度の入院があり、翌年の初夏には父が亡くなり、夏には母が骨折し車椅子生活となってといった次第で、それから6年一度も花見に行くことはなかった。昨年の秋母が亡くなって7年ぶりの花見となったわけだが、この間桜は私にとって花便りを聞くだけの花であり、物理的にも精神的にももっとも遠い花であった。

長い人生の中には人との交わりにも時期によって親疎があるが、自然との触れ合いにもまた親疎がある。

 

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