元旦

元旦も老母の背中掻いてをり

 

季節も月日も時間も母には関係ない。ただ、内なる要求のままに、食べて寝て排泄する。周囲が母のペースに合わせられるなら、認知症であっても、それなりに生きられるのかも知れない。だが、少なくとも姉や私は社会一般の暦と時計で生活している。すべてを母に合わせていたら、こちらの生活が成り立たない。私にできるのは、できる限り「遊びの時間」をもっておいて、少しでも母のペースに合わせられるようにすることだ。その母のための「遊びの時間」を、しばしば自分の時間にしてしまう私ではあるが……。

とは言え、正月から母の背中を掻けるのは幸せなことだ。能登で大地震のあった二〇二四年の新年は殊更その思いが深い。</p<

 

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冬の雷

冬の雷母の陰より響くごと

 

はじめて老母の陰部を拭いた。私にとって、それは衝撃だった。その時の感覚は、母以外のそれを見た時とも、子どもの頃に風呂で母のそれを見た時とも違う。その瞬間は、自分の母親の陰部を見るという照れくささは消えて、何か厳かなものに対したような心境になった。そう感じたのは、ここから自分が生まれてきたからだろうか。あるいは私が男だからかも知れない。いずれにせよ私には、男根より女陰のほうがはるかに崇高なものに思われる。

もし人間の性器が楽器なら、男性器はチーンなどという安物のベルのような音しか出せそうにないが、女性器はどどどという和太鼓のような音を響かせられるような気がする。

 

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水洟

吾の手で水洟拭ふ老母、こら!

 

鼻水が拭ければ何でもいい。母が自分の考えをことばに出来たら、そうとでも言っただろうか。母の不思議な言動は数々あるが、姉や私には分からないだけで、母には母の文脈があるはずだ。それが分かったらと思う反面、「知らぬが仏」ということもあるかも知れない、とも思う。あるいは鼻水が出た瞬間、握っていた私の手のことはわすれてしまって、自分の手を鼻に持っていったつもりだったのかも知れない。

ちなみにわが家のテディベアは、母に「かわいい。かわいい」と撫でられることもあれば、ぽいと投げられることも、ティッシュ代わりに鼻水を拭かれることも、挙げ句はパンのように囓られることもある。

 

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風花

風花や母の下着を干す父に

 

母が病んだからというわけではない。共働きのわが家では、若い頃から父は炊事も洗濯もした。父と母と私の三人の暮らしになってからも、炊事と洗濯は主に父の仕事で、父が母の下着を干していることに特別の感慨をもったことはなかった。

だが、この日の父の姿には、ことばに尽くせぬ母への深い思いを感じた。母の認知症が進むにつれて、教員だった父は退職教員の会合などにもほとんど参加しなくなった。母のことは姉と私が看るからと言っても、なにやかやと理由をつけて、母の傍を離れようとしなかった。

とは言えこの日の感慨は、あるいは父に降りかかる風花がもたらしたものかも知れない。

 

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