花の雨

納骨を終えたる友や花の雨

 

昨年の1月、友人のお父上が他界された。群馬のご実家で、認知症の奥様(友人のお母上)を介護しておられたが、倒れておられるのをお隣の方に発見されたのだそうだ。友人は東京に居を構えていて、最後に会ったのは前年の11月、出張の帰りに実家に立ち寄ったときだったという。

私のように親と同居していると、日々衰えていく親の姿を見なければならない場合があり、友人のように離れて暮らしていると、このように突然の別れがやってくるという場合があるが、どちらもせつなさに変わりはない。

3月、友人から納骨を済ませたとの知らせがあった。桜にはすこし早かったが、ふっと「花の雨」という季語が浮かんだ。

 

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降る雪を父と歩めるごと歩む

 

ふとした折に父の気配を感じることがある。亡くなった4年前のお盆は、故郷の寺へ仏様を迎えに行ったときに、まるでそこかしこに父が素粒子となって浮遊しているように感じられた。大晦日、下戸のはずの母が猪口一杯の酒を楽々と飲み干したのを見て、父が乗り移っていると思った。

この句を詠んだのは2年前の冬。和歌山では珍しく雪が積もった。買い物に行こうと、ゆっくりと雪を踏みしめながら歩いていると、ふと父と並んで歩いているような感じがした。

最晩年の父は歩くのも遅くなっていて、一緒に歩くときはこちらが歩を緩めなければならなかった。雪を踏みしめて歩く感じが、そのときの感覚を思い出させたのかも知れない。

 

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掃苔

掃苔や墓石に遺る父の文字

 

失敗したなあ……。墓参りをするたびごとに父は、刻まれた「井原家先祖代々之墓」の文字を気にしていた。

故郷の墓をいまの霊園に移すときに、新しく墓石を作り直した。墓碑銘はどうしますかと問われて、筆ペンで走り書きした文字を、石材店がそのまま墓石に彫ってしまったのだそうだ。父としては、それがそのまま彫られるとは思っていなかったらしい。だから、個々の文字のバランスが少々悪い。

「お前が儲けたら、新しい墓を作り直してくれ」と言われたが、残念ながら私もこの父の文字の刻まれた墓に入ることになりそうである。もっとも自分は死んでいるので、それを見届けることは出来ないが……。

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中

 

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ゆく蛍天に昇るを見届けず

 

ドラマのようにはいかないものだ。NHKの連続ドラマ『ごちそうさん』のヒロインの義理の父親が夕食を食べ終えて、「ああ、おいしかったなあ……。明日はどんなおいしいもん食べられるんやろ」と言った翌朝、息を引き取っていた。そんな別れを夢見ていた。さすがにそれはないとは思っていたが、出来るなら父から最期に感謝のことばや励ましのことばを聴きたい、せめて亡くなる直前の父に感謝のことばをかけたいと思っていたが、どれも叶わなかった。未明に気づいたときには、肺炎による高熱のまま息絶えていた。おそらく喉には痰がつまっていただろう。

義兄は、父は自分の意志で逝ったのだと言う。姉や私の涙を見たくなかっただろうか。

 

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ミニトマト

ミニトマト母のいのちの糧となれと赤く熟るるを三つ四つ捥げる

 

母の食べられるものが少なくなってきた。肉や魚は調子のよいときは食べられるが、たいていは飲み込めず吐き出してくる。野菜はいも類とたまねぎはよく食べてくれるが、にんじん・大根などの根菜類はときどき、葉物野菜やきゅうり・ピーマンなどはほとんど吐き出してくる。葉物野菜やきゅうりが食べられないので、生野菜はほとんど母に出せなくなった。そんな中、唯一母がよく食べる生野菜がトマトだ。もっとも皮は吐き出してくるので、皮を剝く。

家庭菜園では、作りやすくて、皮も剝きやすい中玉と呼ばれる直径3センチくらいのミニトマトを作っている。今年は豊作だ。

 

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春の月

母を看る子どもを照らす春の月

 

家族の介護を担う子どもたちがいることを知ったのは、数年前だったと記憶している。しかし、そのときにはそれを深く受けとめたわけではない。ところが、父が亡くなり、母と二人暮しになり、介護の日々を俳句に詠んだりしているうちに、急にヤングケアラーと呼ばれる子どもたちに何か出来ることはないかと思い始めた。

それはおそらく、もっと……しておけば良かったという父への後悔や、母へのケアが行き届かない自分への呵責の裏返しであろう。結局は救いたいのではなく、救われたいのだろうと言われれば返すことばもない。

それでも、こころに芽生えたこの思いを、何とか具体的な行動に変えていきたい。

 

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枯草

枯草も遺品とあれば遺品なり

 

父の遺品を整理していたら、書類の入った段ボール箱に枯草が一本入っていた。はて、この草はいったいどういう経緯で、この箱にあるのだろう。紙に包まれているわけでもなく、無造作に箱に放り込まれている。というより紛れ込んだというほうが適切だろうか。何か意味があって父がこの箱に入れたとも思えないが、亡くなった人の持ち物の中にあると意味ありげに思えてくる。

父は特別何かを愛用するといった人ではなかったし、私も特に父の持ち物に思い入れのある物があるわけでもないので、遺品といっても言わば不要品として処分するだけの代物ではある。ただ、枯草一本とはいえ、これも父の遺品には違いないと妙な感慨を抱いた。

 

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秋の暮

これ以上帰る場所なき秋の暮

 

旅の楽しさ、喜びを支えているものは、帰る場所があるということではないだろうか。日頃のしがらみやなりわいから解放されて、美しい風景を見たり、おいしいものを食べたりすることは、心底楽しいことだが、ずっとその状態が続くとしたら、最終的にはこころの癒やしにはなるまい。

そう考えると、やはり帰れる場所が最もこころの休まる場所だ。しかし、母にはもはやその場所は何処にも存在しない。生まれ育った生家も、父と二人で建てた家も、いまは他人の所有するところだ。また、仮にそこに帰れたとしても、母がそこを自分の帰れる場所と認識することはないだろう。

秋の暮、帰りたいという母と途方に暮れる。

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中

 

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時鳥

時鳥絶えたる父の身は熱く

 

息絶えて間もなかったのだろう。未明に父の体温を測り、「ああまだ熱が38度7分もある」と溜息をつき、ふと気づくと呼吸をしていなかった。前日は母の誕生日。それを待っていたかのように逝った。父の死体は早朝葬儀屋さんが来た時にもまだ温かかった。

姉にも私にも子どもがいない。だから、父のことを続く世代に伝えられない。だが、父のことを(そして母のことを)何かの形で残しておきたい。私がnoteやブログを始めた大きな動機の一つだ。

死ぬことは「冷たくなる」と表現される。私も観念的に死んだら冷たくなるものだと思っていた。温かな死体もあることを、父の死体に触れて初めて知った。

 

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6月8日

池田小事件の日ごと歳一つとりたる母ととらぬ子ども等

 

あの日、70歳になった母は、あれから23年生きて、93歳になった。あの日以来、母が誕生日を迎えるごとに、共に日々を過ごせるよろこびを思う一方で、いつも大阪教育大附属小学校児童殺傷事件のことが胸をよぎる。小学校の教員をしていた母の誕生日に、母が教えることの多かった1年生・2年生の子どもたちが、こともあろうに学校で殺傷されてしまったという巡り合わせは偶然だとしても、その偶然によってこの事件はいっそうせつないものとして私の胸に刻まれた。

世界は不条理に満ちているとはいえ、生あるものは必ず死ぬという条理が、あのような形で小さな子どもたちに降りかかったことを思うとき、この世界を呪いたくなる。

 

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