おでん

父逝きて余るおでんの腹立たし

 

父も私も酒飲みであて食いである。酒があれば料理がすすむし、料理があれば酒がすすむ。そんなわけでその日に作った料理はほとんど残ることはない。それを見越して、おでんなどは5人分ぐらい作る。母が1人分、父と私は2人分というわけだ。それでもうっかりすると、一晩でほとんど食べてしまう。

父が亡くなった冬、おでんを作った。母が1人分、私が2人分で3人分ぐらい作った。だが、私は2人分のおでんを食べられなかった。ちょうど1人分ぐらいのおでんが余った。

それがなんだか無性に腹立たしかった記憶がある。ちょうど1人分余ったおでんに、父がもういないことを意識させられるのが嫌だったのだろう。

 

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痛してふ母のさびしさ撫づる秋

 

母の「痛い」にはどうも三つある。本当に腕や足などが痛むときの痛い。何かが身体に触れたときの違和感や恐怖を表わす痛い。そして、自分の傍に誰か来てほしいときの痛い。

三つ目の「痛い」には私の反省もある。母は傍に誰かいないときに「ここへ来てよぉ」と言うことがある。ただ、料理を作っていて火のそばを離れられないときなど、「ちょっと待って」と言わざるを得ない。しかし、母には私のその状況が理解出来ないから、立て続けに「来てよぉ」を繰り返す。そのうちに私のほうが癇癪を起こして怒るということが何回かあったのだ。

三つ目の「痛いよ」は、人を呼ぶための母の知恵ではないかと私は考えている。

 

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昼寝

母と姉と父の位牌と昼寝かな

 

往診に訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴と家にいながらにしてサービスを受けられるのは有難い。一方で、日替わりで人が家を訪ねてくる気疲れも正直ある。

父の四十九日を終えた7月頃のことだったろうか、母と姉と3人で昼寝をしたことがある。その日は、どのサービスも入っていない日で、眠そうにしている母を見て、姉がみんなで昼寝をしようと言った。

仏間にあるベッドに母を寝かし、姉と私は畳の上にごろんと横になった。横になる前に、仏壇にある父の位牌が目に入った。なんだか父とも昼寝をしている気持ちになった。

ほんの30分ほどのことだったと思うが、不思議な静けさと平穏に包まれた時間であった。

 

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演技

わすれをる演技を母はしをるやも過ち多き息子おもひて

 

本当に母は認知症なのだろうか。いや、認知症には違いないのだが、ときどき記憶が鮮明なときもあるように思う。もちろんすべての記憶が蘇ったわけではなく、いくつかの事柄を思い出すだけなのだろうが、少なくとも私のことが息子と分かり、いま、自分の置かれている立場がどういうものか認識しているときがあるのではないか。

私は生来癇癪な質で、些細なことですぐに怒ってしまう。そして、後でそんな自分が情けなくなる。母のほうは感情を表情に表わさず「なぜ怒るの?」というような顔をしているが、あれは私を落ち込ませないための演技ではなかろうか。「分かっているよ」母の目がそう言っているように思えることがある。

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水温む

水温む老母の嗽ががががぺ

 

母の歯磨きは私がしている。歯を磨くという行為そのものをわすれてしまっているようだから、自分で歯ブラシを持たせてもきょとんとしている。誤嚥性肺炎を起こさないために、口の中を清潔にするよう主治医から言われているので、代わりに私が磨く。

歯を磨いて口を漱ぐとき、本人は「がらがら」としているつもりなのだろうが、私の耳には「がががが」としか聞こえない。吐き出すときの「ぺ」だけは同じだが……。

「がらがら」ではなく、「くちゅくちゅ」するように言って、しばらくは出来ていたが、もうそれもほとんどしなくなった。いまはただ、水を口に含んで「だー」と吐き出すだけだ。まあ、歯が磨けるだけよしとしよう。

 

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母の咳そろそろおむつ替へ時か

 

毎日決まった時刻に起こしたほうがよいのだろうが、気持ち良さそうに眠っている母は起こしづらい。また、こちらも眠っていてくれたほうが家事のほかに自分の時間も持てるから、ついつい起こしそびれて気づいたら昼過ぎということも少なくない。だが、時すでに遅く、パットや紙おむつの吸水量の限界を超えて、肌着やパジャマを尿で濡らしてしまうという失敗をこれまで何度繰り返してきたことだろう。論語に曰く「過ちて改めざる。これを過ちと言う。」

折しも寝室から母の咳が聞こえた。目覚めた! いまがおむつの替え時だ。そう思いつつ、ブログを書き上げるまではとパソコンの前から離れられない過ち多き私である。

 

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星合

星合の母の寝息の静かなり

 

七夕近くになると、母の訪問入浴に来てくださるスタッフの方が短冊をくださる。「よかったら願いごとを書いて、飾ってください」と言われるのだが、正直これといって願いはない。いまこうして母の介護をしていて、自分の願いを書く気にはなれない。かと言って、母のことでなにか書こうとすると、これがなかなか難しい。子どもとしては長生きしてほしいが、それが母にとって本当に幸せなことかどうか……。いずれ訪れる死が苦しみのないものであることを願うが、さすがに死にまつわることを短冊には書けない。悩んだ末におざなりなことを書いて飾ることになる。

その夜、母は穏やかに眠っていた。あえて願いと言えば、こんな日常だろうか。

 

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腐草蛍となる

わが科や腐草蛍となりぬとも

 

私はいつか認知症にならなければならない。そして私からつらいことばをかけられた父や母の気持ちを知らなければならない。もっとも、そうなった時に、私が父や母にした仕打ちを覚えているかどうかは分からないから、ああ父や母に申し訳ないことをしたと心底思えるかどうかは分からない。あるいは父や母に言ったことなどすっかり忘れてしまっていて、ただただ自分に投げかけられるつらいことばに憤慨するだけかも知れない。

「腐草蛍となる」は腐った草が化して蛍になるという古代中国の伝説に由来する季語。仮にそのことを忘れてしまっても、科が消えたわけではない。罪ほろぼしにはならないが、このブログには正直に記しておきたい。

 

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ありがとう

暁に吾を父と見て母言へり「いろいろしてくれてありがとう」

 

あれには驚いた。父が亡くなって、二、三ヶ月経った頃だったろうか。真夜中に母をトイレに連れていって便器に腰掛けさせると、「お父さん」と言って、私の胸に頭をぐりぐりと押し当てた。それは思いもよらぬ愛情表現だったが、母のあふれんばかりの父への思いを感じた行動でもあった。

ちょうど同じ頃、暁に母が隣に眠っている私に向かって、「お父さん。いろいろしてくれてありがとう」と言ったのにも驚いた。母が父にこんなふうに感謝のことばを述べるのを聞いたことがなかったからだ。

母が認知症になってから、父は多くのものを犠牲にしてきたと思っていたけれど、それに見合う愛情と感謝を母から受けていたのかも知れないといまは思う。

 

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花盗人

われに無き花盗人になる覚悟

 

母が外出するのは、病院の検査のときだけとなった。車椅子から車への移乗が難しくなって、姉も私もなかなか母を外出させる気持ちになれない。病院の検査のときは、車椅子ごと運んでくれる介護タクシーを利用する。車への移乗は不可能ではないが、無理をして母を怪我させるのも怖いし、私自身も腰を痛めでもすれば、介護に差し障りが出る。

それでも春になると母に桜を見せてやりたくなる。いっそどこかの桜の枝を折り取ってこようかと思ったこともある。もちろん桜ともなると、その辺の草花をちょっと摘んでくるのとは訳が違う。倫理的に許されることではないが、母のためにそれくらいの覚悟をもつ子どもではありたい。

 

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