茶の花

茶の花や灯ともさず父と母

 

もともと父も母もかなり暗くなるまで電灯を点けなかった。父の家に電気が通じたのは戦後だったという。父や母の世代のころの家の中はそんなに明るくなくて、ほの暗さに慣れているということもあるだろう。

だが、母が認知症になり、父もまたその症状を示し始めてからの無点灯は、それとは違う。椅子から立ち上がって灯を点けに行くのが億劫なのか、灯を点けるという行為そのものをわすれているのか、いや夕暮れとなって暗くなったという感覚さえ、父と母にはなかったのかも知れぬ。

外から帰って、暗い部屋に父と母がじっと座っているのを見ると、一瞬ぎくっとした。さまざまなものが暮れかかっていた。

 

 

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露草

露草が濡れてゐるからもう泣けぬ

 

父が死んでから4年。もう幾度となく泣いているが、まだ思い切り泣けたという感覚がない。そのせいか、なんとなくかなしみが宙ぶらりんのように感じる。母を見送るまではかなしんでばかりもいられないから、思い切り泣くのは、母も見送ってからでもいいだろうとも思う。一方で、幼いころ味わった大声をあげて泣いたあとのすっきりした感覚をもう一度味わえないものかとも思う。

無理に涙をこらえるなどということは出来ない質なので、もう還暦も近いというのに、泣きたくなったら恥も外聞もなく泣く。それでもいま泣くのは……と思われるようなときもあって、そんなときは妙な理屈をつけて感情をなだめる。

 

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待宵草

父偲ぶ待宵草の咲くやうに

 

宵待草のことを月見草と混同している人が多いという。実は私もそうで、歳時記の説明を読んで、ネットで調べるまで待宵草のことを月見草だと思っていた。今でも「月見草」と聞けばこちらの方を思いうかべる。プロ野球の野村克也の「長嶋は向日葵、私は月見草」の名言も、太宰治の「富士には月見草がよく似合う」の一節も、待宵草のイメージとしか結びつかない。

父が亡くなっても、昼間はばたばたと時間に追われていて、父のことを思い出すことは少ない。だが、日が暮れて一人でいるときなどに、ふっと父のことを思い出すことがある。それはひっそりと記憶という花が開くような感じである。

 

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ことばなき会話

病みてことば発せられざる父の脇に体温計はさめば冷たしという顔

 

父はことばが発せられなくなっていた。ヘルパーさんが着替えで身体の向きを変えたときに「痛いよ」と言ったというのが、私の知る限り父が発した最後のことばだ。子どものころから父とは事あるごとに会話を重ねてきた。世間一般の父と子よりはるかに多くの会話をしたに違いない。それなのに、父と過ごした最後の一ヶ月にほとんど父の声が聴けなかったことが、心残りでならなかった。

しかし、ベッドで臥す父を詠んだ歌を読み返しながら、父の声は聴けなかったけれど、それでも父と会話をしていたのだと思った。

冷たい! と一瞬目を閉じて、また開いたあとの微笑みを含んだ顔は、私の知る中でも、もっとも好きな父の表情の一つだ。

 

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啄木忌

母の名はすべて代筆啄木忌

 

母はもう文字を書くことが出来ない。だから、書類に母の名前を書くときはいつも私が代筆する。もう何度、母の代わりに署名したことだろう。介護保険をつかうサービスは、まず契約書に始まり署名・捺印。開始時のそれは仕方ないこととしても、サービス内容が少し変わる、保険が改定される等のたびごとに署名・捺印をしなければならないのは、どうにかならないものだろうか。介護に従事する方々の手当を上げるのはもちろんだが、手間を省くこともサービスを提供する側にも提供される側にもメリットが大きいと思うのだが……。

ところで署名の代筆という行為に、なにか後ろめたさを感じるのは私だけだろうか。

 

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雑煮

老母が雑煮食ふとき姉弟会話止む

 

注視するとき、自然と口は閉じる。さっきまで姉と話をしていても、母の口に雑煮の餅が入ったとたん、どちらともなく会話が止む。

餅といっても、上新粉や白玉粉で出来た餅菓子ならそれほど腰はないが、雑煮の餅はかなり腰があるので、喉に詰まらさないか心配する。母の雑煮の餅をどのくらいの大きさに切るかがまた悩ましいところで、大きすぎると食べにくいし、小さくするとするっと喉に落ちて詰まらせてしまう危険がある。

おめでたいお正月の食卓に生じるちょっとした緊張感。それは微風にも消えてしまいそうな老母のいのちの灯火が灯り続けているからこそのものだ。「ありがたい」とはまさに「有り難い」なのだということを思う。

 

 

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花野

老父母の気づけば遠き花野かな

 

あれで良かったのかと今でも考える。亡くなるまでの2,3年は、活動的だった父が何もしなくなり、何をするのも億劫な様子だった。母も何かに感動するといったことは少なくなっていたから、景色のよい場所に連れ出しても、喜んでいるふうもなかった。でも、このまま家に籠もっていたら、ますます二人の認知症は進んでしまうのではないか。そう思って、年に何度かは車で遠出をした。結局あれは、自分が遠出をしたくて、両親を無理矢理つき合わせていたのではないか。

あのとき父が望んでいたのは、安心できる家で母とゆっくり過ごすことではなかったか。皮肉にもコロナ禍に父は亡くなり、必然的に家籠もりとなった。

 

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父逝きてもの言ひたげな蛇出でし

 

生まれ育った山間と違い、いま住んでいる場所ではほとんど蛇を見かけない。平地や丘陵で石垣などが少ないうえ、最近はコンクリートブロックなどを用いるから、蛇の住める場所も少ないのだろう。

ところが、父が亡くなったその年は珍しく蛇を何匹か見かけた。裏庭を1メートル以上もあるアオダイショウが這っていたこともあった。この辺りで1メートルを超える蛇を見たことがなかったのに、それが裏庭に来ていたのだから驚いた。

一番驚いたのは、種類は分からないが小さな蛇がガレージへ下りる扉のところから廊下まで上がってきていたことだ。何か知らせに来てくれたのだろうか。

 

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缶切り

缶詰が父より届くそのたびに共に入りたる缶切り増ゆる

 

父は気遣いの人であった。進学して一人暮しを始めた頃、年に数度小包を送ってくれた。中には故郷の食べ物や日用品、そして缶詰が入っていることが多かった。思い出すのは、父が送ってくれる缶詰には必ず缶切りが添えられていたことだ。電話でお礼がてら、前に缶切りは送ってもらっているからもう入れてくれなくていいと伝えても、次の回もまた入っている。母によると、「缶切りぐらいなかった向こうで買わよ」と言っても、「幸彦に手間かけさせたらあかん」と言って、缶詰を買うごと缶切りも買うということだった。

いまは、缶切りのいらない缶詰も多くなった。それでも仮に父が缶詰を送ってくるとしたら、缶切りを添えているような気がする。

 

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花の雨

納骨を終えたる友や花の雨

 

昨年の1月、友人のお父上が他界された。群馬のご実家で、認知症の奥様(友人のお母上)を介護しておられたが、倒れておられるのをお隣の方に発見されたのだそうだ。友人は東京に居を構えていて、最後に会ったのは前年の11月、出張の帰りに実家に立ち寄ったときだったという。

私のように親と同居していると、日々衰えていく親の姿を見なければならない場合があり、友人のように離れて暮らしていると、このように突然の別れがやってくるという場合があるが、どちらもせつなさに変わりはない。

3月、友人から納骨を済ませたとの知らせがあった。桜にはすこし早かったが、ふっと「花の雨」という季語が浮かんだ。

 

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