葱坊主病めるものみな一括り
認知症とのつき合いも長くなった。母があと何年生きるかは分からないが、母が死んでも認知症とのつき合いは終わるまい。そう、いずれこの病が、私のこころの扉をたたく日が来ると考えている。
多様性の時代と言われるようになったが、その反動なのか多様なものを一括りにする傾向も感じる。多様なものを多様なまま受け入れるのは大変なことだから、少しでも扱いやすくしたいという心理が働くからだろうか。
『癌』『認知症』などという病気も、一括りにして扱われすぎだと思う。もっとも、かく言う私も「認知症の母」としばしば書く。だが、実際は「母が認知症」なのであって、「認知症の母」なのではない。
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