汗かかぬ老いを介護の玉の汗

 

母はほとんど汗をかかなくなった。狭心症や不整脈といった心臓病を抱えているので、なるべく部屋の温度を一定に保っていることもあるが、やはり高齢になって体温調節ができていないのだと思われる。夏に冷房のないトイレに連れていっても、本人は涼しい顔をしている。だが、介助する姉や私はそのたび汗だくだ。

もっとも、喉の乾きも感じず自分では水分補給しようとしないので、汗をかかないといっても脱水症状や熱中症になる可能性はある。冷房の中にいるとはいえ、夏は注意が必要だし、秋や冬とて油断は出来ない。

室温22度を目安にしているわが家では、季節を問わず姉や私はときどき玉の汗を流す。

 

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春風

春風に母を洗ひて日に干せり

 

リアルにいのちの洗濯だ。九十歳を過ぎた母と共に暮らしていると、「いのち」や「存在」ということがより強く意識される。正直、あと十年生きるかも知れないし、明日はもう生きていないかも知れない。九十歳を超えた人間のいのちの灯火は無風でも消えてしまうようなものだと思う。とすれば、うららかな春の日、やわらかな春風の中で母を日光浴させるのは、比喩ではなく「いのちの洗濯」そのものではなかろうか。

母が「悲しい」と嘆いても、「痛い」と呻いても、なす術がないときは空しい。それでも、誰しもがこうして直に自分の親のいのちに関わっていられるわけではない。その意味では、私は恵まれている。

 

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元旦

元旦も老母の背中掻いてをり

 

季節も月日も時間も母には関係ない。ただ、内なる要求のままに、食べて寝て排泄する。周囲が母のペースに合わせられるなら、認知症であっても、それなりに生きられるのかも知れない。だが、少なくとも姉や私は社会一般の暦と時計で生活している。すべてを母に合わせていたら、こちらの生活が成り立たない。私にできるのは、できる限り「遊びの時間」をもっておいて、少しでも母のペースに合わせられるようにすることだ。その母のための「遊びの時間」を、しばしば自分の時間にしてしまう私ではあるが……。

とは言え、正月から母の背中を掻けるのは幸せなことだ。能登で大地震のあった二〇二四年の新年は殊更その思いが深い。

 

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初秋

初秋や母のいのちの坂いくつ

 

九月を過ぎるとほっとする。五年前の九月、母が徐脈で入院した。そのまま危篤状態となり、一晩意識がなかったが、幸いにも翌朝意識が戻り、二週間程で退院した。翌年の一月末また徐脈で入院。体調が落ち着いてきたと思っていた九月、またもや徐脈となって入院した。その翌年は転倒して骨折し、八月末から入院した。結局三年連続で母は九月を病院で過ごしたことになる。そんなわけで私には、一年のうちで九月が、母にとって最もきつい坂と意識されるようになった。

いのちの坂にも上り下り。母はもう何十年も、坂を下り、しばらく平地を歩いて、また坂を下るということを繰り返してきた。できれば最期はゆるやかな坂を下らせてあげたい。

 

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明易

明易の母のお襁褓に夜の重み

 

二回分・四回分・六回分。何かの回数券ではない。紙おむつの種類である。二回分とは、約二回分の尿を吸収できるという意味で、吸水量の多いものの方が値段が高い。わが家の場合は尿パッドを併用して、パッドが尿を吸水しきれなかったときは紙おむつでカバーするという形にしている。これだとパッドの交換だけで済むことも多いから、紙おむつを履き替えるより手間が少ない。近頃は尿だけでなく、便が出ていること多くなった。不用意におむつを下げると、あちこちに便が付くことがあるので要注意だ。

相子智恵さんの句に「短日や襁褓に父の尿重く」(※)。手にずっしりと掛かる尿の重みは、時の重み、生の重みのようにも感じられる。

※『角川俳句手帖2022ー23 冬・新年』版より

 

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石鹸玉

石鹸玉透けて記憶を病める母

 

『認知症』という病名に抵抗がある。では、どんな病名がよいか。一時期『記憶を病む』という表現を遣っていた。肺結核のことは、『胸を病む』と表現される。『心を病む』や『脳を病む』では他の精神疾患と紛らわしいので、『記憶を病む』ではどうかと思った。

しかし、最近はこれも違うなと思う。認知症が進んで表れる症状は、記憶力の低下にとどまらない。母には確かにさまざまな認知機能の低下が見られる。その意味では、『認知症』という病名は適切なのかも知れない。

それでも、やはり「母が認知症になった」という表現にはどこか違和感がある。侮蔑的と感じる人もいるかも知れないが、「母がボケた」というほうが、私にはしっくりする。

 

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冬の雷

冬の雷母の陰より響くごと

 

はじめて老母の陰部を拭いた。私にとって、それは衝撃だった。その時の感覚は、母以外のそれを見た時とも、子どもの頃に風呂で母のそれを見た時とも違う。その瞬間は、自分の母親の陰部を見るという照れくささは消えて、何か厳かなものに対したような心境になった。そう感じたのは、ここから自分が生まれてきたからだろうか。あるいは私が男だからかも知れない。いずれにせよ私には、男根より女陰のほうがはるかに崇高なものに思われる。

もし人間の性器が楽器なら、男性器はチーンなどという安物のベルのような音しか出せそうにないが、女性器はどどどという和太鼓のような音を響かせられるような気がする。

 

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小鳥来る

パンを手に眠れる老母小鳥来る

 

一年の四分の三は母と家にいる。父が死んでから、常に母の傍にいられるのは私だけだ。だが、私にも仕事がある。とは言え、要介護5の母を一人には出来ないから、姉や介護サービスの方々に助けてもらいながら、仕事や買い物などに出かける。平日は15,6時間、日曜・祝日は24時間母と家にいるから、計算するとそのぐらいの割合になる。と言っても、家事と介護以外の大部分は、母の隣で眠る時間と母の傍にいるだけの時間だ。

母は朝食や昼食の最中眠ることがある。眠るといっても5分から10分程度眠っては目覚めて、また食べまた眠って、目覚めてまた食べをくり返す。そんな時はキッチンから見える裏庭を所在なく見つめていたりする。

 

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炎昼

炎昼の床を濡らして母がゐた

 

なにが起きた? 廊下に立つ母の足元が濡れている。失禁したのかと思って、指につけて嗅いでみたが臭いはしない。では、この水は母が持ってきたものか? 母は何をしようしたのだろう? 呆然と立っている母の横に立って、私もしばらく呆然とした。

親の物忘れが増えてきて怪訝に思っても、歳も歳だから……などとそれをことさら深刻に考えたくない時がある。一方で、これはどう考えても認知症だと気づき、またそう悟らねばならない日が来る。ところが、その時には実はもうかなり進んでいる。もちろんそこからでも対応する術はさまざまあろうが、概して家族の認知症への対応は、後追いになることが多いのではなかろうか。

 

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秋灯

秋ともし母の徘徊数十歩

 

心臓が止まるかと思った。まだ父が生きていた頃のことだ。秋の夜、車で家からほんの数十歩ほどのところまで帰ってくると、パトカーが停まっている。何事?と思いつつ通り過ぎようとすると、母がいるではないか。あわてて車を車庫に入れ走って引き返し、「あの家の者です」と数十歩先の灯を指した。道で横たわっていたところを通りがかりの人が通報してくれたのだという。母が徘徊したのは、この一回きり。夜中に出ようとしたことが何度かあったが、幸いにも玄関の鍵を開けられず、未遂に終わった。

この夜、父はかなり酔っていて、母が一人で家を出たことに気づいていなかった。買ったばかりの日本酒の五合瓶が空になっていた。

 

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