雑煮

老母が雑煮食ふとき姉弟会話止む

 

注視するとき、自然と口は閉じる。さっきまで姉と話をしていても、母の口に雑煮の餅が入ったとたん、どちらともなく会話が止む。

餅といっても、上新粉や白玉粉で出来た餅菓子ならそれほど腰はないが、雑煮の餅はかなり腰があるので、喉に詰まらさないか心配する。母の雑煮の餅をどのくらいの大きさに切るかがまた悩ましいところで、大きすぎると食べにくいし、小さくするとするっと喉に落ちて詰まらせてしまう危険がある。

おめでたいお正月の食卓に生じるちょっとした緊張感。それは微風にも消えてしまいそうな老母のいのちの灯火が灯り続けているからこそのものだ。「ありがたい」とはまさに「有り難い」なのだということを思う。

 

 

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花野

老父母の気づけば遠き花野かな

 

あれで良かったのかと今でも考える。亡くなるまでの2,3年は、活動的だった父が何もしなくなり、何をするのも億劫な様子だった。母も何かに感動するといったことは少なくなっていたから、景色のよい場所に連れ出しても、喜んでいるふうもなかった。でも、このまま家に籠もっていたら、ますます二人の認知症は進んでしまうのではないか。そう思って、年に何度かは車で遠出をした。結局あれは、自分が遠出をしたくて、両親を無理矢理つき合わせていたのではないか。

あのとき父が望んでいたのは、安心できる家で母とゆっくり過ごすことではなかったか。皮肉にもコロナ禍に父は亡くなり、必然的に家籠もりとなった。

 

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父逝きてもの言ひたげな蛇出でし

 

生まれ育った山間と違い、いま住んでいる場所ではほとんど蛇を見かけない。平地や丘陵で石垣などが少ないうえ、最近はコンクリートブロックなどを用いるから、蛇の住める場所も少ないのだろう。

ところが、父が亡くなったその年は珍しく蛇を何匹か見かけた。裏庭を1メートル以上もあるアオダイショウが這っていたこともあった。この辺りで1メートルを超える蛇を見たことがなかったのに、それが裏庭に来ていたのだから驚いた。

一番驚いたのは、種類は分からないが小さな蛇がガレージへ下りる扉のところから廊下まで上がってきていたことだ。何か知らせに来てくれたのだろうか。

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中

 

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花の雨

納骨を終えたる友や花の雨

 

昨年の1月、友人のお父上が他界された。群馬のご実家で、認知症の奥様(友人のお母上)を介護しておられたが、倒れておられるのをお隣の方に発見されたのだそうだ。友人は東京に居を構えていて、最後に会ったのは前年の11月、出張の帰りに実家に立ち寄ったときだったという。

私のように親と同居していると、日々衰えていく親の姿を見なければならない場合があり、友人のように離れて暮らしていると、このように突然の別れがやってくるという場合があるが、どちらもせつなさに変わりはない。

3月、友人から納骨を済ませたとの知らせがあった。桜にはすこし早かったが、ふっと「花の雨」という季語が浮かんだ。

 

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降る雪を父と歩めるごと歩む

 

ふとした折に父の気配を感じることがある。亡くなった4年前のお盆は、故郷の寺へ仏様を迎えに行ったときに、まるでそこかしこに父が素粒子となって浮遊しているように感じられた。大晦日、下戸のはずの母が猪口一杯の酒を楽々と飲み干したのを見て、父が乗り移っていると思った。

この句を詠んだのは2年前の冬。和歌山では珍しく雪が積もった。買い物に行こうと、ゆっくりと雪を踏みしめながら歩いていると、ふと父と並んで歩いているような感じがした。

最晩年の父は歩くのも遅くなっていて、一緒に歩くときはこちらが歩を緩めなければならなかった。雪を踏みしめて歩く感じが、そのときの感覚を思い出させたのかも知れない。

 

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掃苔

掃苔や墓石に遺る父の文字

 

失敗したなあ……。墓参りをするたびごとに父は、刻まれた「井原家先祖代々之墓」の文字を気にしていた。

故郷の墓をいまの霊園に移すときに、新しく墓石を作り直した。墓碑銘はどうしますかと問われて、筆ペンで走り書きした文字を、石材店がそのまま墓石に彫ってしまったのだそうだ。父としては、それがそのまま彫られるとは思っていなかったらしい。だから、個々の文字のバランスが少々悪い。

「お前が儲けたら、新しい墓を作り直してくれ」と言われたが、残念ながら私もこの父の文字の刻まれた墓に入ることになりそうである。もっとも自分は死んでいるので、それを見届けることは出来ないが……。

※note「喜怒哀”楽”の俳介護+」では短歌・詩・その他俳句を公開中

 

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ゆく蛍天に昇るを見届けず

 

ドラマのようにはいかないものだ。NHKの連続ドラマ『ごちそうさん』のヒロインの義理の父親が夕食を食べ終えて、「ああ、おいしかったなあ……。明日はどんなおいしいもん食べられるんやろ」と言った翌朝、息を引き取っていた。そんな別れを夢見ていた。さすがにそれはないとは思っていたが、出来るなら父から最期に感謝のことばや励ましのことばを聴きたい、せめて亡くなる直前の父に感謝のことばをかけたいと思っていたが、どれも叶わなかった。未明に気づいたときには、肺炎による高熱のまま息絶えていた。おそらく喉には痰がつまっていただろう。

義兄は、父は自分の意志で逝ったのだと言う。姉や私の涙を見たくなかっただろうか。

 

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春の月

母を看る子どもを照らす春の月

 

家族の介護を担う子どもたちがいることを知ったのは、数年前だったと記憶している。しかし、そのときにはそれを深く受けとめたわけではない。ところが、父が亡くなり、母と二人暮しになり、介護の日々を俳句に詠んだりしているうちに、急にヤングケアラーと呼ばれる子どもたちに何か出来ることはないかと思い始めた。

それはおそらく、もっと……しておけば良かったという父への後悔や、母へのケアが行き届かない自分への呵責の裏返しであろう。結局は救いたいのではなく、救われたいのだろうと言われれば返すことばもない。

それでも、こころに芽生えたこの思いを、何とか具体的な行動に変えていきたい。

 

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枯草

枯草も遺品とあれば遺品なり

 

父の遺品を整理していたら、書類の入った段ボール箱に枯草が一本入っていた。はて、この草はいったいどういう経緯で、この箱にあるのだろう。紙に包まれているわけでもなく、無造作に箱に放り込まれている。というより紛れ込んだというほうが適切だろうか。何か意味があって父がこの箱に入れたとも思えないが、亡くなった人の持ち物の中にあると意味ありげに思えてくる。

父は特別何かを愛用するといった人ではなかったし、私も特に父の持ち物に思い入れのある物があるわけでもないので、遺品といっても言わば不要品として処分するだけの代物ではある。ただ、枯草一本とはいえ、これも父の遺品には違いないと妙な感慨を抱いた。

 

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秋の暮

これ以上帰る場所なき秋の暮

 

旅の楽しさ、喜びを支えているものは、帰る場所があるということではないだろうか。日頃のしがらみやなりわいから解放されて、美しい風景を見たり、おいしいものを食べたりすることは、心底楽しいことだが、ずっとその状態が続くとしたら、最終的にはこころの癒やしにはなるまい。

そう考えると、やはり帰れる場所が最もこころの休まる場所だ。しかし、母にはもはやその場所は何処にも存在しない。生まれ育った生家も、父と二人で建てた家も、いまは他人の所有するところだ。また、仮にそこに帰れたとしても、母がそこを自分の帰れる場所と認識することはないだろう。

秋の暮、帰りたいという母と途方に暮れる。

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