待宵草

父偲ぶ待宵草の咲くやうに

 

宵待草のことを月見草と混同している人が多いという。実は私もそうで、歳時記の説明を読んで、ネットで調べるまで待宵草のことを月見草だと思っていた。今でも「月見草」と聞けばこちらの方を思いうかべる。プロ野球の野村克也の「長嶋は向日葵、私は月見草」の名言も、太宰治の「富士には月見草がよく似合う」の一節も、待宵草のイメージとしか結びつかない。

父が亡くなっても、昼間はばたばたと時間に追われていて、父のことを思い出すことは少ない。だが、日が暮れて一人でいるときなどに、ふっと父のことを思い出すことがある。それはひっそりと記憶という花が開くような感じである。

 

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