寒卵転がればまた子に戻る
母はしばしば私のことをわすれた。父が亡くなってから、わたしのことを父と思っているなとか、どこかの施設か病院の職員だと思っているなというような話し方をすることも多かった。あるいはどこの誰だか分からずに怪訝そうな目で私を見ることもあった。
だが、母は私のことをわすれ去ることはなかった。転がった卵がくるりとまた元の場所に戻ってくるように、ときどきまた私が自分の子どもであることを思い出す。その頻度はだんだんと少なくなってはいったけれど・・・・・・。
亡くなる日の未明、「あなたの息子の幸彦ですよ、分かりますか?」と訊くと「はい」と答えた。本当のところはどうだか分からないが、最期にまた母の子どもに戻ったのだと思うことにしている。
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