枯草

枯草も遺品とあれば遺品なり

 

父の遺品を整理していたら、書類の入った段ボール箱に枯草が一本入っていた。はて、この草はいったいどういう経緯で、この箱にあるのだろう。紙に包まれているわけでもなく、無造作に箱に放り込まれている。というより紛れ込んだというほうが適切だろうか。何か意味があって父がこの箱に入れたとも思えないが、亡くなった人の持ち物の中にあると意味ありげに思えてくる。

父は特別何かを愛用するといった人ではなかったし、私も特に父の持ち物に思い入れのある物があるわけでもないので、遺品といっても言わば不要品として処分するだけの代物ではある。ただ、枯草一本とはいえ、これも父の遺品には違いないと妙な感慨を抱いた。

 

<広告>

わが家も減塩!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

秋の暮

これ以上帰る場所なき秋の暮

 

旅の楽しさ、喜びを支えているものは、帰る場所があるということではないだろうか。日頃のしがらみやなりわいから解放されて、美しい風景を見たり、おいしいものを食べたりすることは、心底楽しいことだが、ずっとその状態が続くとしたら、最終的にはこころの癒やしにはなるまい。

そう考えると、やはり帰れる場所が最もこころの休まる場所だ。しかし、母にはもはやその場所は何処にも存在しない。生まれ育った生家も、父と二人で建てた家も、いまは他人の所有するところだ。また、仮にそこに帰れたとしても、母がそこを自分の帰れる場所と認識することはないだろう。

秋の暮、帰りたいという母と途方に暮れる。

 

<広告>

さばが好き!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

時鳥

時鳥絶えたる父の身は熱く

 

息絶えて間もなかったのだろう。未明に父の体温を測り、「ああまだ熱が38度7分もある」と溜息をつき、ふと気づくと呼吸をしていなかった。前日は母の誕生日。それを待っていたかのように逝った。父の死体は早朝葬儀屋さんが来た時にもまだ温かかった。

姉にも私にも子どもがいない。だから、父のことを続く世代に伝えられない。だが、父のことを(そして母のことを)何かの形で残しておきたい。私がnoteやブログを始めた大きな動機の一つだ。

死ぬことは「冷たくなる」と表現される。私も観念的に死んだら冷たくなるものだと思っていた。温かな死体もあることを、父の死体に触れて初めて知った。

 

<広告>

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

6月8日

池田小事件の日ごと歳一つとりたる母ととらぬ子ども等

 

あの日、70歳になった母は、あれから23年生きて、93歳になった。あの日以来、母が誕生日を迎えるごとに、共に日々を過ごせるよろこびを思う一方で、いつも大阪教育大附属小学校児童殺傷事件のことが胸をよぎる。小学校の教員をしていた母の誕生日に、母が教えることの多かった1年生・2年生の子どもたちが、こともあろうに学校で殺傷されてしまったという巡り合わせは偶然だとしても、その偶然によってこの事件はいっそうせつないものとして私の胸に刻まれた。

世界は不条理に満ちているとはいえ、生あるものは必ず死ぬという条理が、あのような形で小さな子どもたちに降りかかったことを思うとき、この世界を呪いたくなる。

 

<広告>

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

天寿

わが母をフジコヘミングさんと比し何か変はらん宿命生くるに

 

なんと不遜なことを言う奴だと思われるかも知れないが、私の母もおそらく天才なのである。「おそらく」と書いたのは、天才を知るのは天才のみであって、天才でない私にはそう断ずることが出来ないからだ。ただ、才能の有無を比べているのではない。フジコさんも母も、人として与えられた運命を全うした(しようとしている)点において変わりはなかろう。

フジコさんと母は同じ1931年生まれだ。12月生まれのフジコさんは今年の4月21日に92歳で旅立たれ、母はあと2日、6月8日を迎えると93歳になる。

音楽にはまったく造詣のない私だが、母と同年生まれの音楽家の死を悼みたい。合掌。

 

<広告>

半額以下商品多数!おトクな買い物で社会貢献【Kuradashi】

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

竹の秋

竹の秋失語の父に問へる母

 

父のベッドの端にちょこんと母が腰掛けている。「おとちゃん、和子やで」「なんで何にも言わんのよ」「なんか言うてよ」

認知症の母には、父が圧迫骨折で入院したこと、入院で一気に認知症が進みことばも話せなくなってしまったこと、退院してから誤嚥性肺炎になって熱のあることなどは分からない。ただ、ベッドに横たわり、一言も喋らない父がいるだけだ。

竹は養分を地下の筍に送るため、春先に葉が黄ばんだ状態になる。これを「竹の秋」と呼ぶそうだ。また竹の花は100年に一度咲くと言われ、花が咲くと竹林は一斉に枯れてしまうという。人生100年と言われる時代、父は竹よりも早く84歳で枯れてしまった。

 

<広告>

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

木枯

木枯やこころの家をさがす母

 

「帰りたいよぉ」泣きそうな声で母が言う。「ここがお母さんの家やで」と言っても、母には理解出来ない。無理もない。娘や息子は知らない人だ。記憶の中にある父や母(私からすると祖父母)はどこにもいない。いくらここが家だと説いたところで、母にはここが自分の居場所だとはとても思えまい。

実際に母の実家であった故郷のお寺(そこは地域の檀家寺でいまは無住職となっている)に連れていったこともある。だが、「板尾の寺へ帰ってきたで」と伝えても、きょとんとしている。母が帰りたい場所は、もはや母のこころの中にしかないのだ。

「海で出て木枯帰るところなし」山口誓子。母は認知症という海で途方に暮れている。

 

<広告>

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

台風

台風の備へいつしか父に似る

 

父はかなり慎重で周到な人であった。台風が近づいてくるとの予報があれば、物干し竿を外したり、外に出している植木鉢を家の中に入れたり、停電に備えて懐中電灯を用意したりする。冬になると屋外にある水道の蛇口に凍結防止のためのタオルを巻く。私からすれば、なにもそこまでしなくても……ということが多く、特にそれらの手伝いをさせられるときには煩わしく感じたものだ。

父の死後、台風接近の予報があったとき、ふと自分が父と似たようなことをしているのに気づいた。私の気質は父より母に似ていて、何かにつけ大雑把なのだが、その私が几帳面な父と同じようなことをするようになった。これも父の遺産と言えるだろうか。

 

<広告>

さばが好き!

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

筍の季ごとに母を見舞ふ叔母

 

母は四人姉妹の次女だ。一つ上の姉も、二つか三つ下の妹ももういないので、残っているのは十三歳下の妹だけである。父には兄が一人、姉が八人いたが、末っ子の父が最後に亡くなって、姉と私にとって「おじ・おば」と呼べる人は、この叔母夫婦だけになった。

母が認知症になってから、ずっと叔母夫婦はわが家のことを気に掛けてくれて、年に二、三度訪ねてきてくれる。そのたび畑で穫れた野菜や、お手製の総菜をたくさん携えて……。

中でも私が楽しみにしているのは、叔母の作った筍の煮物で、この頃歯ごたえのある物が食べられなくなってきた母も、叔母の作った筍の煮物は普段よりよく食べる。

 

<広告>

半額以下商品多数!おトクな買い物で社会貢献【Kuradashi】

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

人のみが

人のほか老いを労る生き物を知らざるわれは人でありたし

 

どんな生き物も子どもは大切にする。では、老いたものはどうだろうか。そもそも自然界の生き物には、いわゆる老年期そのものが存在しないかも知れないが、弱肉強食の世界では、老いたものを労るゆとりはないであろう。少なくとも私は、人間以外に老いを労ることのできる生き物を知らない。

数年前にある議員が「生産性のない人たちは税金で支援する必要がない」というコラムを発表して話題となったが、生産性のなさでいえば、わが母も同じだろう。(いや、私も)

無用の人などいないが、百歩譲って世の中に無用の人がいるとして、そうした人もまた大切にできるのが人ではないだろうか。少なくとも私は、そういう人でありたい。

 

<広告>

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村