夕焼

夕焼けて母はわが家に迷子なり

 

夕暮症候群というらしい。認知症の人が、夕方になると不穏になったり、家に帰りたがったりする症状をさす用語だそうだ。私の母も一時期ほぼ毎日夕方になると、家に帰ると言って姉や私を困惑させた。いまは以前ほどではなくなったが、やはり一日の中で夕方が一番情緒不安定なことが多いように思う。

ところで、わが母に『認知症』や『夕暮症候群』といった病名を遣うことには、今でも少なからず抵抗がある。この病名でいいのかとも思うし、病名が一人ひとりの人格を一括りにしてしまっているようにも思える。

小山正見さんに「家に居て帰るてふ妻秋彼岸」(※)。母と二人の暮らしになって、今さらながら父の傷心と戸惑いが思われる。

 

※ 小山正見 句集『大花野』(翔出版)より

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炎昼

炎昼の床を濡らして母がゐた

 

なにが起きた? 廊下に立つ母の足元が濡れている。失禁したのかと思って、指につけて嗅いでみたが臭いはしない。では、この水は母が持ってきたものか? 母は何をしようしたのだろう? 呆然と立っている母の横に立って、私もしばらく呆然とした。

親の物忘れが増えてきて怪訝に思っても、歳も歳だから……などとそれをことさら深刻に考えたくない時がある。一方で、これはどう考えても認知症だと気づき、またそう悟らねばならない日が来る。ところが、その時には実はもうかなり進んでいる。もちろんそこからでも対応する術はさまざまあろうが、概して家族の認知症への対応は、後追いになることが多いのではなかろうか。

 

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バナナ

母病みてある日抽斗よりバナナ

 

いま思えば、あれが前触れだった。ある日、食器棚の引出しから食べかけのバナナが出てきた。「こんなとこへバナナ入れるなよ!」と言いはしたものの、元来天然なところのある人だったから、さして気にも留めなかった。むしろ、これが母だと思っていた。

あれから二十数年、母はやわらかに病み続け、おそらく今は認知症の末期にさしかかろうとしている。母の介護に献身した父が亡くなって三年、私の生活の中心は介護となった。

介護生活の喜怒哀楽の「楽」が俳句だ。今では介護の合間の俳句が、しばしば俳句の合間の介護となる始末だ。そんなゆるい私の介護を「俳介護」と名付けて、俳句と文章で綴る。介護同様ゆるいので、更新は折々。

 

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