打水をして往診の刻まだし
往診を待つ間というのはどこか落ち着かない。足を骨折して車椅子生活になってから、かかりつけ医が月一回往診してくださることになった。歩けなくなった母には申し訳ないが、これは正直かなり助かる。通院だと待ち時間と診察で3~4時間はみておかないといけない。往診だと通常は30分ほどで終わる。とは言え、お医者さんが家に来てくださるというのは、介護サービスの方々とは違った緊張感がある。訪問サービスは「訪問」が仕事だが、往診は特別なことをしてもらっているという感じがする。月一回というのが、さらに特別感を高める。
夏ならば、せめて打水でも……と庭に水を撒いて、今か今かと先生を待つことになる。
時々拝見しております。
私の父は、令和に元号が変わる頃に他界しており、
母も、やがて父と同じ種類の認知症を患い、時間とともに1人での生活はできないため施設に入っている。
母の認知症が、まだもう少し軽度であった頃、
物の場所がわからなくなった、
IHコンロのスイッチの入れ方がわからなくなった、
などと言ってはたびたび呼び出された。
あの頃は正直うんざりしていた。
施設に入り、今となってはまともな話も通じない。
また、コロナのせいもあったが母への面会が足も遠のいている。
父が母が嫌いになったわけではない。
目を閉じると、
小学校の時、何度も海釣りに連れてってくれた父の事や、
一人暮らしで家を出るときに、頑張れと送り出してくれた母のことを思い出す。
こんな気持ちを自分も俳句にできたらいいなと思ったりします。
コメントありがとうございます。私の母もいまはだんだんと会話が成り立たなくなってきています。喋っていることの八割方は理解できませんし、こちらのことばも簡単な内容以外は通じていないようです。俳句や短歌を書くことは、いまは亡き父へ、またいまは充分に語ることのできない母へ、ことばを届けることでもあると思っています。